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既存の「女性学」が持つ限界とは

上野名誉教授の「祝辞」を読む


東京大学入学式での「祝辞」が話題となっています。祝辞の主は、わが国における「女性学」の草分けであり、フェミニストとして知られる上野千鶴子名誉教授(70)。日本社会や東大内部にも残る根深い女性差別に言及しつつ、「頑張っても報われない社会が待っている」と辛口のスピーチを展開しました。これに対しては、一部に「入学式にふさわしくない」との批判もありましたが、40、50代の女性を中心に賛同、共感する意見が多数を占めました。

共感の背景には、女性が弱者として虐げられてきた歴史があり、上野氏の問題提起には耳を傾けるべき内容も多く含まれています。祝辞の中では、東大の男子学生が私大の女子学生に集団で性的な凌辱を加えた事件も取り上げられました。残念ながら、女性の尊厳を踏みにじる同種の事件は後を絶ちません。男性たちは、女性の価値を軽んじてきた歴史を痛切に反省しなければならないでしょう。

また、上野氏は「報われた」立場に立っている東大の新入生に対して、与えられた環境に感謝するとともに、自らの力を報われない立場にある人々を助けるために使ってほしいと呼びかけました。もちろん、こうした呼びかけ自体は大変すばらしいものです。

一方で、男性と女性を「強者―弱者」「支配―被支配」の関係として捉える論法には限界があることも確かです。氏の「女性学」やその背景にあるフェミニズム運動は、男性優位の社会にあって一貫して女性の社会進出や地位向上を求めて戦ってきました。しかし、現代においては、男女を敵対関係のようにとらえる思考法だけでは対処できない問題が増えてきています。

ちなみに、2017年の大学進学率は男子55.9%、女子49.1%。短大(本科)進学率を含めると女子の大学等進学率は57.7%まで上昇し、進学面での男女格差はほぼ消滅しました。大学卒の就職率についても男子97.5%、女子98.6%で全く差はありません。しかし、女性の学歴、年収が上昇する一方で、結婚相手の男性に、自分よりも高い学歴、年収を求める女性の傾向は変わりませんでした。その結果として結婚相手として「選ばれる男性」が相対的に減少。非婚・晩婚化が加速するという皮肉な現象が起きています。

これは決して上野氏が指摘するように、幼いころからの男性優位の刷り込みの結果として、女性の意識が変わらないのではありません。妊娠、出産という重要な役割を果たす女性が、男性に経済的なサポートを期待するのは非常に自然で、合理的なあり方だからです。実際に、女性の社会進出が進んでいるようにみえる米国ですら、家計収入に占める平均的な割合は夫7、妻3となっており、男性が家計の主たる担い手となる傾向は変わりません。

また、女性の社会進出や自立が進むなかで、家庭や地域社会が空洞化するという問題も起きてきました。子育てや親せき・近所づきあい、町内会やPTAの活動など、これまで主に主婦が担ってきた分野が機能不全に陥り、様々な社会病理を生み出しています。現代では、家族機能の弱体化を、保育園など行政の役割として引き受けようという考え方が主流ですが、こうした方向性はますます家庭や地域の弱体化を加速するでしょう。つまり、現代の男女をめぐる課題は、女性が一定の社会進出を果たしたことを前提として、いかに家庭や地域社会の機能を維持、再生するかという非常に高度な段階に入っているのです。

上野氏の「女性学」をはじめフェミニズム運動は、共産主義の革命思想から大きな影響を受けており、家父長制や男性優位の社会を敵視して、女性の自立と権利を勝ち取るために戦ってきました。しかし、そこで攻撃された男女の性役割や、伝統的な一夫一婦の家族制度には「男尊女卑」という負の側面だけでなく、男女の性差にもとづく役割分担という知恵深い要素もあったのです。

これからの「女性学」やフェミニズム運動は、共産主義的な思考法や、女性を一方的に「弱者」と見る被害者意識からの脱却が大きな課題となるでしょう。男性と女性は対立関係ではなく、お互いに異なる強みを持ちつつ補い合う「相補的関係」です。また、男女が協力しあって営む「家庭」が安定してこそ、個人の権利や幸福も守られるのです。

その意味で、上野氏の闘争的な「女性学」は、時代的な使命を終えました。むしろ、これからは男女が共に幸福になる「家庭学」の登場こそが願われています。

(O)

既存の「女性学」が持つ限界とは

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