米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第14回

米ソ冷戦下でアメリカの「国連離れ」が加速

text by 魚谷俊輔

 

国際機関の制度を自国に優位な方向へと誘導しようと、いま中国は各国への働きかけを強めています。長年にわたって組織的な外交攻勢を仕掛けていた中国が、その最大の受益者として台頭しているのです。国連組織で影響力を握ることによって、中国は国内外における自らの言行について、国際社会の追求を阻止することが可能になってしまいました。一方のアメリカは2018年に国連人権理事会を脱退しており、人権問題については発言権を持ちません。ですからいまや、中国が国際機関を利用してアメリカに対抗する時代になってしまったのです。

それでは、アメリカと国連の関係はどうなっているのでしょうか。もともと国連の創設が決まった1945年にアメリカ合衆国議会は、国連本部の自国への誘致を決定しました。ですから、この頃のアメリカは国連に対して大変積極的だったということです。ロックフェラー2世から850万ドルの寄付もあり、ニューヨーク市マンハッタンに国連本部が入るビル群ができました。ですから、いまでも国連といえばニューヨークです。この頃まではアメリカは国連に対して積極的な姿勢を示していました。国連発足当時は、「安全保障理事会中心の集団安全保障」という国連の理念を、アメリカもまだ信じていたということです。しかし、米ソの対立が顕在化する中で、安保理が機能不全になり、アメリカの「国連離れ」が始まっていったのです。

そして1960年代には旧植民地諸国の独立が相次いで、国連に加盟して構成国が急増しました。ここでソ連は多くの開発途上国と友好関係を築き上げて、彼らをまとめて反米の方向に誘導したわけです。そうすると国連が反米活動の場になってしまったので、国連はアメリカにとって非常に居心地の悪い場所になってしまったのです。加盟国が増加すると、一国一票なので、どんなに人口の小さな国でも一票持っているということで、小国の発言力が増して、相対的に安全保障理事会に対する総会の位置づけが強まりました。そしてベトナム戦争のときにはアメリカは多くの非難を受けて、国連はアメリカの国益に反する場所になっていったのです。

(つづく)

米ソ冷戦下でアメリカの「国連離れ」が加速

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