米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第16回

国連の「集団安全保障体制」の理想が反映された日本国憲法

text by 魚谷俊輔

 

前回までは国連における中国の「外交的勝利」とアメリカの「国連離れ」について説明しました。トランプ政権下において、アメリカの国連離れは加速しましたが、アメリカがこういう状況だと、日本はどうしたらいいのでしょうか?

ここで日本の安全保障と国連の関係について基本的なことを説明したいと思います。戦後日本の「安全保障」の基本構造が何であるかと言えば、敗戦によって日本は軍隊を解体し、憲法第9条によって「不戦の誓い」を世界に対してなしました。日本国憲法の第9条は、日本は「戦争と武力行使を永久に放棄する」「交戦権を認めない」と明記しています。これを「平和憲法」というわけですが、日本が再び軍事的に台頭するのではないかという懸念を米国およびアジアの近隣諸国から払拭する上では、日本の平和主義は一定の役割を果たしたということができます。この日本国憲法ができる過程において、1946年に吉田茂首相の国会答弁のなかで、憲法第9条について「自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」と解釈して答弁しています。いまは違います。いまは個別的自衛権と集団的自衛権というものがあって、その両方とも行使できるんだということになっていますが、当時は日本という国は自衛権さえも持たない国なんだと考えられていました。しかし、自衛権のない国がどうやって自分の国を守るのでしょうか。

実はこれが国連と深く関係していたのです。国連憲章は1945年6月26日にサンフランシスコにおいて調印され、1945年10月24日に発効しています。一方、日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されています。この2つの文章が出来た時期は非常に近いわけです。この2つはお互いにリンクしあっているということになります。有名な日本国憲法の前文には、「日本国民は、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。これは大変なことでありまして、自分の国を自分の国で守るのではなくて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、自分たちの平和と安全を守るんだと、日本の憲法は言っているわけです。

これが何を意味しているかというと、実は日本が侵略されたら国連軍が守ってくれるという前提に立っているから、こう書かれているわけです。もともと国際連合は、国連軍によって世界平和を実現しようとする、「集団安全保障体制」だったわけです。ですから、国連初期の理想が日本国憲法に反映されているのだということになります。

(つづく)

国連の「集団安全保障体制」の理想が反映された日本国憲法

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