米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第17回

機能不全の国連軍に代わり日本をも持った日米安保条約と自衛隊

text by 魚谷俊輔

 

問題は何かというと、本来国連にあるべき「抑止力」が、現実には存在しないということなのです。国連の抑止力とは何かというと、本来は「国連軍」が組織されることなのですが、いままで一度も「国連軍」ができたためしはなかったのです。

なぜできないのでしょうか。それは安保理常任理事国が「民主主義」対「共産主義」の理念で分裂したからです。国連軍というと、1950年の朝鮮戦争のときに「国連軍」ができたじゃないかという人がいるかもしれませんが、あれとて正式な国連軍ではなく、カッコつきの国連軍です。ソ連が安保理をボイコットしていたので正式な手続きを踏んでいない多国籍軍に過ぎないというものを、あえて「国連軍」と呼んでいるのです。

それでは、日本は軍隊を持たずに、国連が守ってくれるはずだという前提にもかかわらず、実際には国連軍が機能しない場合にはどうすることになったかというと、米ソの冷戦構造のもとで日本は、日米安全保障条約を結ぶことによって、アメリカの抑止力に頼り、アメリカに自国の安全保障を託すことによって生き残っていく道を選んだということです。

この日米安保条約は「片務条約」と呼ばれています。片務条約の意味とは、アメリカには日本を守る義務がありますが、日本にはアメリカを守る義務がないということです。そういう条約なのです。アメリカ側から見てそんな条約を結ぶことに何のメリットがあるのかと思うかもしれませんが、この当時は実は“Win-Win”の関係にあったのです。

なぜかといいますと、アメリカは日本が再び軍事的に台頭してくることを恐れていました。ですから日本の軍隊を解体して、日本から一切の軍事力をなくそうとしたわけです。しかし一方で東アジアにおいて共産主義との対立が激しくなってくると、日本に米軍を駐屯させることによって、来たるべきソ連との戦い、共産主義との戦いにおいて、日本を反共の砦にしようとしたのです。それが“Win-Win”の関係ということであり、日米安全保障条約の本質であったわけです。

ただし、米軍を日本に駐留させることだけでは不足なので、1950年に警察予備隊というものをつくって、これはやがて自衛隊になっていきます。そして51年には日米安保条約が署名され、60年に改定ということになって、この2つ、すなわち自衛隊と日米安全保障条約によって日本の平和と安全を維持してきたのであって、憲法第9条があるから日本の平和と安全が守られてきたわけではないのです。

(つづく)

機能不全の国連軍に代わり日本をも持った日米安保条約と自衛隊

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