UPFの視点

「中東平和の新たなパラダイムを求めて」

中東の戦争と平和に深くかかわる宗教

text by 山崎喜博

11月中旬、韓国ソウル市で開かれた国際会議に参加した。「現代の重要課題に対処する、宗教家と宗教団体の役割と責任」というテーマで、主催はUPF(Universal Peace Federation)という、米国に本部があり、国連経済社会理事会の「特殊協議資格」を有する非政府組織(NGO)だ。同会議の最終日、主催者は「平和開発超宗教連合(Inter-religious Association for Peace and Development=IAPD)」と命名した機構の発足を提案し、会議参加者の大半が決議文に署名した。機構発足の主旨は、世界各地の平和と開発を促進するためには、宗教間の対話と協力を進めるべきだ、というものだ。筆者は長年、中東の戦争と平和と発展途上の環境に身を置き、人並み以上に心と頭を悩ませてきたが、「超宗教」というアプローチに非常に感銘を受け賛同した。これこそ「中東平和の新たなパラダイム」を生む可能性があることを、数回にわたって論じてみたい。

ところで、ここまで読まれた方の中には、イスラムに代表される宗教こそ、中東での緊張や葛藤の、原因そのものでないとしても、中東紛争の火に油を注いできた要因ではないか、と感じている方も多いのではないか。後述するように、その指摘は間違いではない。しかし実態を少し深く吟味してみれば、宗教には、中東の「戦争」を「平和」に転じる潜在力もあることに気づく。そして宗教が「戦争」の火種になるか、「平和」の触媒になれるかは、「超宗教」のアプローチをどこまで有効かつ上手に適用できるか否かにあることが分かる。

シリーズ第1回は、宗教が現代の中東情勢に、どう働いてきたかを再確認してみよう。まず現代のイスラム原理主義を先駆けて実践したイラン・イスラム革命(1978)では、アヤトラ・ホメイニ師をはじめイスラム指導者が、革命の理念と実践の両方を率先した。宗教による政治革命の真っ向勝負を成功させ、法衣を纏った指導者が、国家権力の中枢を牛耳っていく図は、欧米人には理解も容認することも難しいものだった。西欧近世では宗教戦争の悲惨を歴史的体験としており、政教分離を近代社会の原則に定着させてきたからだ。イスラム革命政府は当初から、欧米を中心とする国際制裁と孤立化の仕打ちを受け続けてきた。

逆に欧米諸国がイスラムとの連帯を政治に利用した例もある。ソ連・赤軍がアフガニスタンを侵略したとき(1979)、世界各地からムスリム義勇兵が多数参戦した。それを西側諸国と主要イスラム諸国が応援し、戦費・兵器・兵員訓練・情報などを提供した。その結果、アフガニスタンからソ連を撤退させることに成功し、その2年後にソ連は崩壊した。ちなみに筆者は、冷戦終結に至る過程でアフガニスタンを舞台にした対ソ闘争が果たした意義を、もっと評価するべきだと考えている。

イランの革命経験と、アフガニスタンでの戦勝体験を得たイスラム原理主義は、世界中に政治的イスラムを拡散する一方で、過激な暴力やテロを駆使する勢力を台頭させた。後者が引き起こす凶悪テロの悪名は、「イスラミックテロリスト」という表現まで定着させてしまった。この過激な流れを集大成した例が「イスラム国(IS)」だった。イスラムのスンニ・シーア両派の抗争が深まるイラクとシリアで、漁夫の利を得るように相当の領土を実効支配できたのは、暴力とテロによる恐怖支配だけでは説明できない。世界中から数万人の信徒戦士が参集してきたのは、ISの指導者がスンニ派の総代「カリフ」を自認し(2014)、数年後の世界イスラム化を標榜して聖戦をアピールしたからだ。IS現象の宗教的側面、いわば「神の国」を志向した側面を見つめるべきとの指摘がなされるようになった。(Foreign Affairs, 2017.9-10, ‘True Believers, How ISIS made Jihad Religious again’ Graeme Wood)

ISは今やシリアとイラクで壊滅寸前だと報じられている。過激な原理主義が頓挫したのを一期として、宗教を契機にした社会改革の勢いは衰退するのだろうか。筆者が見るに、少なくとも中東社会では、宗教の政治関与、政治の宗教化は強まるだろう。

まずイラン・イスラム共和国は核兵器とミサイル製造・実戦化の高度な技術を温存したまま、中東一円にシーア派連帯を着々と拡大している。その実行部隊である「革命防衛隊」は、シリアやレバノン、イエメン、イラク情勢に軍事的に深く関与してきた。そしてシーア派独特の宗教意識を梃子に、政治と宗教の一元化の圧力は着実に進むことになろう。

従来は一番非宗教的な近代化路線を走ってきた隣のトルコでも、2002年から権力の座にあるエルドアン大統領が、民主的ルールに則る形をとりながら、内政のイスラム化を着実に進めている。石油を全く生産しないのに経済力は「G20」の一角に入り、今や中東最強の軍隊を擁して、戦後の米国が「世界の警察官」を自任してきたような役割を、イスラム世界に示そうとしている。

この間、中東紛争の代表とも言うべきイスラエル・パレスチナ紛争だが、もともとアラブ民族主義を契機とした土地をめぐる闘争だった。やがてソ連が支援する左翼運動の民族解放闘争の一つになった。ソ連崩壊・冷戦終結後は、後見人のソ連を失い、それに代わったのがイスラムの大義を掲げる原理主義のイランやカタールなど一部のアラブ諸国だ。ガザを実効支配している「ハマス」が、闘争の理念と実践に宗教色を深めてきたのは自然な流れだった。

こう見てくれば、中東の平和追求に宗教を持ち出すことは逆効果、または非生産的、さもなければ見当違いと思われても仕方がない。しかし宗教の影響が深く強いからこそ、拡散し続ける中東の混迷に一縷の望みを開くパラダイムシフトが宗教次元に期待されると思う。次回は、その点を考えてみたい。

(やまざき・よしひろ=中東ジャーナリスト)

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