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杉田水脈議員の「炎上記事」を読む


自民党・杉田水脈衆議院議員が『新潮45』で発表した記事が“炎上”しています。

問題とされたのは、LGBTは「生産性がない」ため税金投入する必要はない、と述べた箇所です。「子供をつくらない」=「生産性がない」との表現は、不妊に悩む夫婦などの心情も考えれば不用意だったと言わざるを得ません。

同議員の事務所にはゲイを名乗る人間から「お前を殺してやる!」とのメールが寄せられたほか、野党からも「ナチズムの思想による抹殺の歴史に通底」(有田芳生・立憲民主党参議院議員)、「無知、無理解、悪意に満ちた偏見で悪質な発言」(小池晃・共産党書記局長)などと一斉に批判の声が上がっています。

一方で、ここぞと批判する野党勢力にも大きな「ブーメラン」が返ってきています。過去に立憲民主党顧問の菅直人元首相が、出生率が低い東京、愛知について「生産性が低い」と発言していたことが指摘されたのです。

では、杉田議員の主張の全てが議員辞職を求められたり、殺害予告を受けるほど悪質なものだったのでしょうか。実際に「生産性がない」との記述を省いて杉田議員の記事を見ると、以下のように、LGBT問題に対して耳を傾けるべき指摘も多く含まれています。

①「日本と欧米は違う」

杉田議員の指摘のとおり、同性愛が犯罪とされたり、強制的に治療の対象となってきた欧米と違い、日本では歴史的にそこまで深刻なLGBT差別はありませんでした。彼女自身もLGBTへの差別感情がないことは明確にしています。

実際に港区が実施したLGBTへのアンケートでは、LGBTであることが原因でハラスメントを受けた割合は1割前後で、女性のセクハラ経験率5割と比べても非常に低い水準となっています。いじめも同様で、一般的ないじめ経験率3〜4割と比較して、LGBTを理由にいじめられた経験をもつ人は約1割。一方、特に困ったことがないと答えたLGBTが約7割に達しています。つまり、いじめやハラスメント全般を減らすことが重要なのであり、LGBTだけに特化して「生きづらい」状況があるわけではありません。朝日新聞のように年間260件も報道するほど、突出した社会問題であるかどうかは疑問です。

ちなみに、日本がすでにLGBTに十分寛容な社会であるとの認識は同性愛者からも示されています。大阪総領事を務めたゲイのパトリック・J・リネハン氏は帰国時のインタビューで次のように述べています。「日本は皆さんが思っている以上に寛容な国。米国のように、LGBTの存在を批判する政党や集団もない。私たちに悪口を言ったり、攻撃する人は一人もいませんでした」(毎日新聞[online]2014年7月27日)

②「LGBTカップルへの税金投入は疑問」

「生産性」という言葉で誤解を招いた部分ですが、本来、婚姻制度で夫婦に特別な保護を与えた理由に、社会の安定と持続性にかかわる「次世代育成」があったことは事実です。子供を設ける可能性がある男女の結びつきには安定性が求められるため、同居、相互扶助を義務付け、原則として離婚を禁止する代わりに、税制などで特別な保護を与えています。たとえ子供をもたない夫婦であっても、男女の性規範を確立するうえでは同様の意義があります。一方、同性愛カップルは、あくまでも私的な結びつきであり、公的に保護する理由はありません。税収や行政の人員に限りがある以上、公益性が低い同性カップルに対する特別の支援に疑問を持つのは当然のことです。これは人権や偏見に関わる議論ではなく、純粋に政策の妥当性に関する議論です。

③「性的志向(LGB)と性自認(T)を区別すべき」

これも重要な指摘です。自分の性別に違和感をもつ人と同性愛者では、抱える課題も必要とされる施策も全く異なります。また、杉田議員は指摘していませんが、Tの当事者の中にも様々なレベルがあります。深刻な性同一性障害の子供たちの事例で同情を引きながら、単なる性的逸脱行為まで正当化する風潮には警鐘を鳴らすべきです。

④「メディア報道による子供への悪影響」

これは最も議論されるべき部分です。現実に米国では、若者のあいだで同性愛者が急増しています。思春期には、女子高など同性の先輩を疑似恋愛の対象とすることがありますが、それは本来、一時的な感情にすぎません。しかし、ドラマなどで同性愛が当たり前のように描かれると、その影響を受けて自分も同性愛者だと思い込み、実際に同性と性関係を結ぶ若者が増えてしまうかもしれません。それは本人の人生を考えた時、必ずしも好ましいことではないでしょう。また、子供の「性別違和」の7〜9割は大人になると解消される一時的な思い込みだとわかっていますが、メディアでの過剰な扱いによって、そうした混乱に陥る子供を増やす危険性すらあるのです。

⑤「男女の性の区別をあいまいにするリスク」

私たちの社会は男女の性による区別を前提として成り立っています。それ自体、性倫理や犯罪防止の観点から見ても非常に重要なことですが、一部のLGBT人権派は「性別は自分で選ぶことができる」と主張します。医学的に男女の性別を確定できない状態で生まれてくる人や性別に違和感を持つ人が存在するのは確かですが、それは極めて少数であり、やはり性別は「男女」が基本です。マイノリティへの配慮は必要だとしても、大多数の人にとって必要な社会制度全体の変更を求めるのは明らかに行き過ぎです。

杉田議員が表明した以上のような違和感や懸念について、全てではないにしても共感する人は少なくないはずです。LGBTに対する差別感情がないことを明確にしつつも、建設的な議論を重ねる必要を感じます。

(O)

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