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痛ましい児童虐待 事後の介入だけでは救えない

「未来の親」を育てる仕組みの構築を


1月に発覚した栗原心愛(みあ)さんの虐待死事件は、児童虐待に対する社会的関心をさらに一層高めました。昨年の船戸結愛(ゆあ)ちゃんの事件以降、安倍晋三首相のリーダーシップのもとで児童相談所の体制強化等の方針が打ち出されるなど、国、地方自治体を問わず、行政側の動きも顕著になっています。

東京都は、都道府県で初となる「保護者の体罰禁止」を定めた条例案を公表、大阪府も児童相談所の人員を今後9年間で大幅増員することを決めました。児相に弁護士、医師を配置するなど職員のプロ化を願う声も高まる一方、自民党の若手議員を中心とした「児童虐待罪」新設の動きも注目されています。さらに、安倍首相は8日の緊急閣僚会議で、1カ月以内に全ての虐待事案の緊急安全確認を行う方針を表明しました。

全体的に見て、行政、司法による積極的な関与、介入を求める機運が高まっていると言えるでしょう。心愛さんや結愛ちゃんが書き残した悲痛な叫びに触れるなかで、「救えなかった」という痛切な反省が社会全体に広がっているからです。悪魔のような親たちの所業から子供たちを救うためならば、「家庭」というプライベートな空間に公的機関が介入することもやむを得ない、と多くの人が考えるようになりました。

それ自体は、児童虐待が深刻化する中で必要な取り組みです。命の危険にさらされ、未来の希望をむしり取られている子供たちに、一刻も早く救いの手を差し伸べなければなりません。ただし、それはあくまでも事後的な処置であり、根本的解決にはつながらないことも事実です。また、強制的な介入によって生まれる新たなリスクも覚悟しなければなりません。日本以上に家庭崩壊が深刻な欧米では、すでに行政や司法による積極的な介入が主流となっていますが、子供を家庭から引き離すことによる心理的、社会的弊害も指摘されています。

病気についても予防こそが最善の治療であるように、そもそも悪魔的な親を生み出さないための努力が必要です。すべての子供たちが温かい「親心」をもった両親に抱かれて育つことができるようにしなければなりません。そのためには、孤立しがちな現代の親たちを支えるコミュニティを再生するとともに、教育課程の中に、将来の良き親、良き家庭人を育てる要素が組み込まれる必要があります。

その意味で、教育には知識やスキルを教える外的な側面とともに、愛情や人格、コミュニケーション能力を育てる内的な側面もあることを再確認するべきでしょう。特に、虐待を行う親は、本人自体が虐待を受けていたり、愛着形成に問題を抱えているケースも少なくありません。こうした人々には、家族的関係のぬくもりや喜びを感じさせてあげることが必要になるため、当然、学校や教師だけに丸投げすることはできないでしょう。

熊本県などで制定されている家庭教育支援条例は、「親の学び」の場を提供するだけでなく「親になるための学び」を中高生に実施することも謳っています。特に保育士体験などで赤ん坊や幼児と触れ合うことは、「親心」を疑似体験し、結婚や子供を持つことに対する意識を高める効果があると言われています。また、良き家庭を築いている大人と触れ合う機会を作ることも有効かもしれません。

いずれにせよ、かつて親族や地域共同体の中で自然になされていた「親になるための準備」を、共同体が崩壊した現代においてどのように補っていくのか、知恵を出し合っていく必要があるでしょう。

(O)

痛ましい児童虐待 事後の介入だけでは救えない

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