いまさら聞けない「神道の基礎知識」

いまさら聞けない「神道の基礎知識」 第26回

教派神道

text by 魚谷俊輔


明治政府が確立しようとした「国家神道」は、初期の段階では「大教宣布の詔」(明治3年)が発布されたり、神祇官や宣教使が置かれるなど、国家公務員が積極的に神道の教えを国民に説教して回るという形で展開されました。しかしこれが行き詰ると、神社とその祭祀は「国家の宗祀」であって、「神社は宗教にあらず」という解釈に変わりました。こうなると、官社の神官たちは国民の教化活動から撤退し、葬儀に関与することも禁止されるようになりました。

すると、神社は「国家の宗祀」であって宗教ではないとする考え方に反発して、独自に教団を組織して神道の布教を始める動きが出てくるようになりました。このようにして出現した教団のことを「教派神道」と言い、戦前には以下の13の教団が「教派神道」として公認されていました。

①黒住教、②神道修成派、③出雲大社(おおやしろ)教、④扶桑(ふそう)教、⑤實行(じっこう)教、⑥神習(しんしゅう)教、⑦神道大成(たいせい)教、⑧御嶽(おんたけ)教、⑨神道大教(たいきょう)、⑩禊(みそぎ)教、⑪神理(しんり)教、⑫金光(こんこう)教、⑬天理(てんり)教。

ただし、天理教と金光教は自らが教派神道に分類されることを拒否しています。現在、天理教については文化庁による『宗教年鑑』においては教派神道系ではなく諸教に分類されるようになっています。このように戦前は「教派神道」と呼ばれて神道の一種であると分類されていた新宗教には、必ずしもそのカテゴリーに収まらないような教えを説くものがあったのです。

幕末維新期に誕生した新宗教には、従来の神道の神観を越えて一神教に近づいたものがありました。こうした「日本的一神教」の例を挙げれば以下のものがあります。

①如来教:開祖・きのは1802年に神憑りして生き神となりましたが、彼女に乗り移ったのは宇宙を創造した如来の使者、金毘羅大権現であるとされました。

②黒住教:開祖・黒住宗忠(むねただ)は1810年に天照大御神と一体化するという神秘的な体験をしましたが、これは単に天皇家の祖神にとどまらず、万物の命の本源としての神であるとされました。

③天理教:開祖・中山みきは人類を創造した親神である「天理王明」の社に選ばれました。天理教は創造主と創造神話を持つ一神教としての性格を持っています。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

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