いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第27回

室町・戦国・江戸時代の仏教

text by 魚谷俊輔


鎌倉時代をもって、日本仏教の創造的な時代は終わってしまいます。室町時代の仏教がどうであったかというと、室町幕府は鎌倉時代以来の真言律宗を重んずる一方で、禅宗の臨済宗との関係を深め、臨済宗の寺を幕府の官寺(かんじ)としました。官寺とは、国家の監督を受ける代わりにその経済的保障を受けていた寺院のことで、室町幕府は臨済宗を優遇します。

世の中が戦国時代に入ると、仏教も武力闘争に加わるようになります。1467年に応仁の乱が起こると、世の中の秩序が乱れ、浄土真宗の信者の一部が武装化して、各地で一揆を起こすようになりました。浄土真宗の別名を「一向宗」といったので、これは「一向一揆」と呼ばれました。さらに京都では、商人らを中心に日蓮宗が勢力を拡大し、一向一揆の勢力から都を守るために、有力な町人が武装し、「法華一揆」を起こしました。

当時、比叡山延暦寺には「僧兵」がいて、お寺が武装勢力になっていました。こうなりますと、多くの戦国大名は勝つために仏教勢力を利用するようになり、寺院は戦いに巻き込まれていきます。武装化によって勢力を増した浄土真宗と日蓮宗は、やがて他宗との抗争や戦国大名の争いに利用されることが多くなりました。このようにして信仰の本質から外れていくことにより、仏教は衰退するようになります。比叡山の僧兵を嫌い、目の敵にしたのが織田信長でした。1571年、織田信長が比叡山延暦寺の全山を焼き討ちするにおよび、仏教勢力は大きく衰退しました。

戦国の世が終わると、江戸時代を迎えます。江戸時代の仏教は、完全に政府である江戸幕府の管理下にあったことが特徴です。1601年より各宗派の本山に対して幕府から寺院諸法度が発令されます。徳川家康は戦国時代から、仏教が武装勢力であるということを知っていたので、仏教勢力から武力を取り上げ、本末制度を作って管理しようとしました。そこで、寺社奉行を頂点とする体制のもとに、すべての仏教のお寺を組み込みました。すなわち、江戸幕府のもとに寺社奉行があり、その下に各宗派の大本山があります。その下に中本山、本山があり、末寺があって、その下に檀家の信徒がいるという構造です。

このように、檀家(寺請)制度を作って、日本人全員がいずれかの仏教宗派に属する仕組みにしました。この檀家寺請制度は、キリシタンの禁止とも深くかかわっていました。これによって仏教は事実上の国教となり、檀家は自分の所属するお寺にお布施をすることが義務づけられたわけです。そうすると、仏教は国家の宗教になったわけですから、寺院は布教する必要がないわけです。それでは何をやるかといえば、檀家の信徒が亡くなったら葬式を挙げればよかったわけです。いまの仏教が「葬式仏教」と批判されるのは、江戸時代に作り上げられたシステムが継続しているからです。このときから、日本の仏教には、純粋な宗教的エネルギーというものはなくなっていきます。すなわち、お上のもとにある御用宗教、官制宗教になったわけです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

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