いまさら聞けない「神道の基礎知識」

いまさら聞けない「神道の基礎知識」 第19回

神仏習合

text by 魚谷俊輔


仏教が日本に受容される過程において、土着の信仰である神道としだいに融合していき、神と仏を一緒に祀るようになった現象を、「神仏習合」といいます。

神仏習合は、思想的にいくつかの段階を経て進行していきました。最初の段階が「神身離脱説」です。言葉の意味としては、神は「神身」を離れて仏に帰依し、迷いから逃れたいと思っている、ということです。これは仏教側が日本の土着の信仰である神道を取り込もうとして説いた教説であり、「神は輪廻の中で煩悩に苦しんでいる身であり、仏教によって救済される」という考え方に基いています。こうした考えに基づいて、8世紀ごろから神社に付属して「神宮寺」という仏教寺院が建てられるようになりました。一つの敷地の中に、神社とお寺が両方あるということです。

次の段階が、「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」です。「本地」とは本体あるいは原型という意味で、「垂迹」とは化身あるいは変形という意味です。これは平安時代中期に出現した、仏と神の関係に関する新しい解釈であり、「日本古来の神々は、仏が衆生救済のために姿を変えて顕われた存在である」ととらえました。すなわち、「本来は仏であったものが、日本人の前では神に形を変えて現れて、仏教が伝来する前から信仰されていた。したがって、仏教と神道は根本は同じである」という理論構築をしたのです。ここでは、「神身離脱説」に比べて、日本の神々の位置が高められていることが分かります。

「本地垂迹説」では、例えば八幡神や熊野神は阿弥陀如来の仮の姿であり、伊勢神宮は大日如来の仮の姿であるというような解釈がなされました。

八幡神は神仏習合の象徴的な神様であると言えます。八幡神を祀った神社といば、大分の宇佐美八幡宮、京都の石清水八幡宮、神奈川の鶴岡八幡宮などが有名ですが、実は神社数の多い祭神ランキングでは、この八幡神が7817で断トツのトップなのです。この「八幡神」が一体どんな神様なのかについては、次回に詳しく解説することにします。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

神仏習合

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