いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第28回

内村鑑三の再臨運動

text by 魚谷俊輔


内村鑑三は「日本の天職」という考えを持っていて、彼独自の歴史観を持っていましたが、晩年の内村はこの「日本の天職」に関してだんだんと悲観的になって失望していきます。それは日本が侵略戦争を行ったからであり、日清戦争の結果に失望し(開戦当時は支持した)、日露戦争には開戦前から反対します。日本がその天職から遠ざかりつつあると言いながら、晩年は朝鮮に関心を向けていくようになります。彼は1908年に「幸福なる朝鮮国」という文章を書いていて、隣国の朝鮮は国を失ってもキリスト教信仰が広まっている、そして朝鮮民族はユダヤ民族にそっくりだと言っています。

内村は、日本の救いは朝鮮から来るのではないかと感じるようになり、「信仰のことについては、朝鮮人は全体に日本人以上であるように見える。たぶんわが信仰が朝鮮人の中に根ざして、しかる後に日本に伝わるのであろう」と書いています。それまで内村は「日本の天職」と言っていたのですが、だんだんと天運が朝鮮の方に移っていくのを感じながら晩年を迎えるわけであります。

内村で面白いのは、再臨運動をやっていることです。「再臨主がやって来る」ということを、ある日突然叫びだすわけです。彼が再臨運動をやるようになったきっかけは、第1に愛娘のルツが1912年に亡くなったことです。これは彼にとって大きな悲しみでした。それが「復活」の信仰へと結びつきます。再臨のときに死んだ人々が復活するということが希望であったので、このときから再臨信仰が目覚め始めるわけです。

そして次のきっかけとなったのが、1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が起こったことです。第一次世界大戦が内村に対して持った意味というのは、キリスト教国であるイギリス、フランス、ドイツが互いに戦争しているということは、もはや人間の力によっては世界平和は訪れない、何か決定的で直接的な神の介在がない限り、人類の文明はもう救いようがないという、ある種の絶望感でした。そこで、最終的にはキリストが再臨しない限りはこの世に完全な救いはないという、再臨信仰に目覚め始めるわけです。

1918年1月6日に、ホーリネス教会の中田重治、組合教会の木村清松とともに東京・神田のYMCAにおいて、再臨運動の講演会を内村は始めます。それから約1年半くらいにわたって、再臨をずっと叫び続けるわけです。「キリストの再来こそ新約聖書の到る所に高唱する最大真理である」「平和は彼の再来によって始めて実現するのである」というのが彼の中心メッセージでした。内村自身は、再臨主は雲に乗ってやってくるということを信じていたようですが、この時代に霊的に突き動かされるようにして再臨を叫んだということは、彼は日本における預言者的な使命があった人物としか考えられません。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

内村鑑三の再臨運動

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