いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第5回

ザビエルと日本宣教

text by 魚谷俊輔


先回は16世紀のキリスト教宣教がアジア諸国に対する宣教方法として採用した「状況適応型のアプローチ」について解説しました。その基本理解に基づき、今回から日本宣教の話に入っていきます。

ザビエルは初めインドや東南アジアで布教していのですが、あるとき「アンジロー」または「ヤジロー」と呼ばれる日本人に偶然出会って、彼の知的能力の高さに驚きます。「日本人は素晴らしい。もしこのアンジローみたいな人ばかりが日本人だとすれば、これはまさしく神が準備した民族に違いない」と思って、日本宣教を決意したと言われています。そしてアンジローは洗礼を受け、日本人切支丹第1号となります。このアンジローは人を殺してしまったという良心の呵責に苦しんでいて、ザビエルに告白をしてキリスト教徒になったと言われています。このように、海外で出会った日本人アンジローが最初の切支丹になり、そして日本人の持っている潜在力に大きな可能性を見出したザビエルが鹿児島に上陸して宣教を始めたのが、日本におけるキリスト教の始まりということになります。

ザビエルは鹿児島や山口、大分などで2年余り滞在して宣教した後、同僚に後を託して日本を離れ、もう一度インドにわたって、そこからさらに中国の宣教を目指して出発したのですが、その途中で病気で亡くなってしまいます。しかし、2年余りにわたってザビエルが蒔いた種は、やがて日本のキリスト教として花を咲かせることになります。その後もトルレス、フロイスなどのイエズス会宣教師が日本に入国して宣教を行います。トルレスは、ザビエルやアンジローと一緒に鹿児島入りした宣教師で、ザビエルの盟友でした。

1563年に来日した宣教師フロイスは、織田信長に大変気に入られて、信長の保護のもとで活動しました。この人は非常に貴重な資料を残しています。『日本史』(ポルトガル語で、Historia de Iapam)という本を書いていますが、戦国時代の日本の状況を外国人宣教師の目を通してつぶさに観察してローマに報告しています。彼は直接織田信長に会い、豊臣秀吉に会って、日本の統治者に関する詳細な記録を残しています。豊臣秀吉などは、とても背が低くて醜い男だったと書かれています。

イエズス会の宣教師の中には、日本人に対して批判的な人も一部いましたが、非常に熱心に宣教した人々は、日本民族を大変高く評価しました。礼儀正しいし、善良だし、略奪や乱暴をしない素晴らしい民族だということで、これぞまさに神が準備した民族に違いないと評価していました。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

ザビエルと日本宣教

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