いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第15回

穴づりの拷問

text by 魚谷俊輔


「穴づり」はキリシタンを棄教をさせるときに最も典型的に使われた拷問の手法でした。これは要するに逆さにつるすのですが、人間を逆さにつるしてもすぐには死にません。しかし、頭に血が上ってくるわけです。そうすると、激しい頭痛が襲ってきて、目や耳や鼻から血が出てくるわけです。そういう状態で、1時間、2時間、3時間と、ずーっと逆さにつるしておくわけです。そうすると想像を絶する頭痛に悩まされます。でもすぐには死にません。そこへ役人がやってきて、脇から「あなたの信仰を棄てなさい。信仰を棄てれば助けてあげる。棄てれば楽になる」と、ずーっとささやき続けるわけです。

これは恐ろしい拷問です。すなわち、すぐに死ぬことができなくて、信仰を棄てるまでこの苦しみが続くという状態に直面しなければならないわけです。ですから、日本の役人たちは殉教をさせずに、殺さないで、信仰を棄てざるを得ないような絶望的な状況にキリシタンたちを追い込んで行ったわけです。ですから、これはまさに強制棄教、強制改宗そのものであり、殺すことが目的ではなくて、信仰を破壊することが目的なんです。殉教者を出してしまったら、信徒の信仰が燃え上がるからです。「また殉教者が出た。私たちも殉教して天国に行こう」ということで、キリスト教が勢いづいてしまうのです。

ですから幕府は、「あの指導者が信仰を棄てた。あの司祭さえも信仰を棄てた」というニュースを流すことによって、信者たちの信仰を失わせようとしたわけです。「あの偉い方も信仰を棄てたなら自分もやめよう」ということになるので、殺すよりも信仰を棄てさせる方が、迫害策としてはよっぽど効果的であるということで、幕府は殺さないで棄教を迫るというやり方を徹底して行ったわけです。

この「穴づり」の拷問の中で日本の信仰深いキリシタンたちはどのように祈ったのかというと、「どうか私が転んでしまわないように、私の命を取り去ってください」と祈ったというのです。この当時、キリシタンが信仰を棄てることを「転ぶ」と表現しました。「どうか主よ、私が転んでしまう前に、この命を取り去ってください」と祈りながら、拷問に耐えていたキリシタンたちがたくさんいました。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

穴づりの拷問

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