いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第6回

初期のキリスト教大躍進

text by 魚谷俊輔


日本に対するキリスト教の宣教は、1549年にザビエルによって種がまかれ、その後はトルレスやフロイスなどのイエズス会宣教師が引き継いでいくことになります。

当時の宣教師は、日本に対して非常に楽観的でした。日本はフィリピンのように宣教の大勝利の地になるかに思われていました。当時、宣教が成功しているところの一つがフィリピンであり、そこでは毎日のように多くの人々が洗礼を受けてクリスチャンになっていました。楽観的な宣教師は1577年にローマに手紙を書いて、「もし十分な数の宣教師さえいれば、日本全体が10年間でキリスト教化されるであろう」と報告しています。これはまさに神が準備した民族であり国であるという感覚をもって、宣教に取り組んでいたということです。

イエズス会の宣教師は、1579年にはキリスト教に改宗した者たちの本拠地として長崎の街を建てることに成功し、既に10万人の日本人改宗者がいると主張しました。そして1587年には20万人の改宗者と240の教会が報告されたということですから、驚くべき勢いで増えていたことになります。

日本のキリスト教は九州から始まりました。九州を中心に、多くの切支丹大名が出現しました。大村純忠、大友宗麟、有馬晴信といった人々です。当時キリシタンになった人々は必ずしも庶民だけではありませんでした。武士や大名などの指導者階級もキリスト教の信仰を受け入れていたわけです。

日本のキリシタン人口の最盛期は1600年ごろで、そのころには約60万人のキリシタンがいたと言われております。これが日本の人口に比べてどのくらいの数かというと、当時の日本の人口は約2500万人と言われておりますので、総人口の2.4%ということになります。人口の2.4%がキリスト教徒になったということは、実は驚くべきことです。なぜなら、現在のクリスチャン人口は日本の総人口の1%以下だからです。ですから、キリシタン時代に人口の2.4%に到達していたということは、かなりの成功を短時間で成し遂げたと評価することができます。では、どうしてキリスト教は躍進したのでしょうか? キリシタン時代にキリスト教が躍進した理由は、次回説明します。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

初期のキリスト教大躍進

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