いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第25回

内村鑑三不敬事件①

text by 魚谷俊輔


ナショナリズムを背景としたキリスト教に対するバッシングが始まってくると、特に天皇陛下とキリスト教の関係に関して、非常に厄介な問題がキリスト教に突きつけられるようになります。当時の日本で天皇陛下がどういうお方であるか教えていたかいうと、「現人神」であられるということです。「現人神」というのは、神が人となられた方であるという意味です。ではキリスト教信仰の本質とは何でしょう? イエス・キリストとは誰かというと、神が人となられた方だということです。では、「日本人であると同時にキリスト教徒であるというあなたは、どっちを現人神だと思っているんだ、天皇陛下が現人神なのか、イエス・キリストが現人神なのか、どっちなんだ!」と言われたら、キリスト教徒は困るわけです。信仰を否定するわけにもいかないし、国体イデオロギーを否定するわけにもいかないので、どっちつかずの回答をせざるを得なくなるわけです。このような、キリスト教に対する挑戦が起こるようになってきました。

キリスト教に対する風当たりが強くなる中で、非常に不幸な事件が起こります。これが1891年におきた、「内村鑑三不敬事件」と呼ばれるものです。内村鑑三は明治期の代表的なキリスト教徒で、アメリカにまで留学した人でありますが、最初になぜ有名になったかというと、この「不敬事件」で有名になります。不敬事件がどんな事件か簡単に解説します。

当時、天皇陛下の教育に関するお言葉として「教育勅語」というものが発布されました。教育勅語は上の画像のように、1枚の紙に記されて、玉璽といって天皇陛下の印鑑が捺されました。その上にある「睦仁」というのは明治天皇の宸署、すなわちサインです。このようにありがたい教育勅語に、天皇陛下直筆のサインの入ったこのような紙が額に入れられて、学校の講堂に掲げられて、そしてその明治天皇の宸署の前で、全校生徒ならびに職員一同が深々と敬礼をするという愛国的行事が、教育の一環として行われたわけです。これは全国で行われました。

内村鑑三は東京の一高というところで教師をしていたんですが、なんと内村は全員が深々と頭を下げているときに、彼だけは敬礼を拒否して頭を下げなかったのです。何故彼が頭を下げなかったかというと、別に天皇陛下を冒涜しようと思ったわけではなくて、この拝むという行為が、礼拝に当たるのではないかと危惧されたわけです。すなわちモーセの第一戒「汝の創造主である神以外に何者も神としてはならない」により、唯一神である神以外のものは一切礼拝してはならないというキリスト教の大原則、その良心に基いて、「これは礼拝行為ではないのだろうか。私にはそれはできない」ということで躊躇して、頭を下げなかったということなのです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

内村鑑三不敬事件①

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