いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第27回

内村鑑三の「日本の天職」

text by 魚谷俊輔


内村鑑三は「日本の天職」という考えを持っていて、彼独自の歴史観を持っていました。彼は文明が西へ西へと進んでいくという、「文明西進説」という考えを説いています。彼の言葉を引用してみましょう。

「古来より今日に到るまで文明は常に西に向って進み地球運動の方向正反対に向かい西行するものなることは歴史家ならびに哲学者の時々発表せし持論なり。」

彼はその例として、米国独立時代の政治家ジョン・アダムス、イタリア人ガリアン(1728〜1787)、経済学者アダム・スミス(1722〜1790)、18世紀中ごろの紀行者ボルナビーなどを挙げています。(『内村鑑三選集』第2巻 p.10より)

「文明はアジアにおいて始まり、東と西の両方に向かって流れて行った。西に向かった流れはバビロン、フェニキア、ギリシア、ローマ、ドイツ、イギリスと進み、アメリカの太平洋側で最高点に達し、そして今日本に到達した。西洋の世界文明に果たした主要な貢献は、自由と自立の精神である。文明の第二の大きな流れは、インド、チベット、中国を通って、北京の満州宮廷に達した。この東洋文明の流れは、西洋において著しく欠けている相互依存と調和を特徴としている。」

「日本は東洋ならびに西洋の中間に立つものにして、両洋の間に横たはる飛石(ステップ・ストーン)の位地に居れり…日本国は、その一方を西洋文明の粋を受けつつある所の米国に向け、右手を以て欧米の文明を取り、左手を以て支那ならびに朝鮮にこれを受け渡すの位地に居るが如し、日本国は実に共和的の西洋と君主的の支那との中間に立ち、基督教的の米国と仏教的の亜細亜との媒酌人の地位に居れり。」(『内村鑑三選集』第2巻 p.8より)

アジアにおいて初めて近代化されキリスト教を受け入れた日本が、西洋と東洋の懸け橋になって、洋の東西を統一するとても重要な使命があると彼は考えました。これが内村鑑三の「日本の天職」という概念です。内村は日本に神の摂理が働いていることを信じており、日本の使命は西欧諸国と他のアジアの国々を連結することであると考えていました。彼は日本の使命を、東洋の代弁者となり、西洋の先ぶれとなって、東洋と西洋を和解させ、世界文明の大きな2つの流れを統合することにあると見いてたのです。

ですから、西洋と東洋が日本で出会って、新しい文明ができていくということです。内村はこの「日本の天職」を果たすためにも、キリスト教を日本に「土着化」させ、西洋のキリスト教と日本文明が出会わなければいけないと主張し続けたわけです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

内村鑑三の「日本の天職」

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