いまさら聞けない「日本基督教史」 第14回
徳川幕府の棄教政策
text by 魚谷俊輔
徳川家康は、極めて徹底的にシステマティックにキリスト教を迫害した人物でした。その迫害の過程で家康は一つのことに気付くわけであります。それは、熱心なキリシタンにとっては、殉教は「天国への直路」であり、栄誉であったということで、迫害すればするほど、キリシタンたちは喜んで死んでいくということに気付いたのです。そして殉教者が称えられ、殉教という迫害策がかえってキリシタンの信仰に栄誉を与えるものであることを知るようになった徳川幕府は、簡単に殺してしまわないで、拷問によって信仰を棄てさせる「棄教策」に重きを置くようになります。具体的には、水責め、俵責め、焼き印、穴づりなど、さまざまな拷問の方法がありましたが、要するにすぐに殺さないで、信仰を棄てるまでじわじわといじめるというやり方をするようになったわけです。
そのときに、キリシタンであるかどうかを見極めるために、「踏み絵」という道具を使いました。これが代表的な踏み絵で、残っている実物です。左側が「ピエタ」と言って、聖母マリヤが十字架から降ろされたイエス様を抱きかかえている像です。右側が十字架にかけられたイエス様の像です。このようなキリスト教のシンボルを踏むことができるかどうかによって、キリシタンであるかどうかを見極めようとしたわけです。こういうとても執拗な検査をして、迫害を行いました。
これが代表的な拷問の様子でありますが、左側が「火あぶり」です。右側が「穴づり」と呼ばれるものです。この「穴づり」は棄教をさせるときに一番典型的に使われた拷問の手法でした。遠藤周作の小説にも、この「穴づり」の拷問が登場します。
(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)