いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第3回

世界宣教とイエズス会

text by 魚谷俊輔


今回から「切支丹時代」の解説に入ります。これは1549年から1638年までの期間です。この時代の始まりは、1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して、キリスト教の宣教に着手したことです。このフランシスコ・ザビエルという人は、イエズス会というキリスト教の修道会のメンバーでした。イエズス会はイグナチオ・デ・ロヨラという人が立てた修道会でありますが、その創設メンバーの一人であり、ロヨラの盟友であった人がフランシスコ・ザビエルでした。アジアの宣教に対してロヨラの全面的な信頼を受けており、日本だけでなくインド、中国と、アジア全体に福音を宣べ伝える使命をもってやってきた人でした。

イエズス会という組織の特徴を少し説明しましょう。イエズス会はカトリックの修道会であるわけですが、それまでの伝統的な修道会は、どちらかというと山にこもって修行したりお祈りしたりするタイプのものが多かったのです。しかし、イエズス会はそういう「こもる」タイプの修道会ではなくて、ある意味では軍隊のような組織で、どこにでも出かけて行ってキリストの福音を宣べ伝えることを究極の使命としていた修道会だったのです。だからこそ、アジアまではるばるやってきてみ言葉を宣べ伝えたということです。

日本に対してイエズス会がとったアプローチの特徴は、「状況適応型のアプローチ」と呼ばれるものでした。このときはキリスト教の世界宣教が盛んな時代でした。そのときの宣教の対象、すなわちどういう国や地域に出かけて行ったかによって、宣教方法は大きく二つに分かれました。そのうちの1つのやり方を、「十字軍型のアプローチ」と言います。これは、宣教地の土着の文化を根絶やしにして、上から一方的に、半ば強制的にキリスト教を植え付けてしまうというやり方です。南米や中米やアフリカなどの未開の民族に対しては、このような手法がとられました。ほぼ「文明」と呼ばれるようなものが存在していない未開人に対して、キリスト教を上から一方的に受け入れさせて、洗礼といえば強制的に水をぶっかけるくらいの勢いでキリスト教徒にしていくというやり方です。いま南米のほとんどがカトリックになっているということからも分かるように、こういうやり方が南米やアフリカでは功を奏したのです。

これとは全く異なるやり方が「状況適応型のアプローチ」ですが、その詳細については次回説明します。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

世界宣教とイエズス会

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