いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第23回

初期の改宗者たち

text by 魚谷俊輔


明治初期にプロテスタント教会が発展した第一の理由が、宣教する側の熱心にあったことは先回解説しました。彼らは禁教化にあっても英語の教師として日本に入り込み、日本の若者たちに密かにキリスト教を伝えました。一方で、それを受け入れる側の改宗者たちはどのような人々だったのでしょうか?

明治初期にキリスト教徒になった有名な人たちは、ほとんどが没落士族の子弟たちでした。世の中が変わって、士農工商の時代ではなくなったので、武士という特権階級がなくなってしまいました。武士の中でも、薩長出身の人々は政府の役人になる道がありましたが、それ以外の藩の武士たちはただ職を失っただけですから、自分の身をどう立てていくかといえば、学問をするしかなかったわけです。

そこで英語を学ぼうということになり、キリスト教に触れたときに、彼らは一種のアイデンティティー・クライシスに陥っていたわけです。つまり、古い社会体制が崩れて、武士の誇りはあるけれども身分はないという状態の中で、新しい世界に向けて何を学んで行ったらよいのかという、求める気持ちがあったのです。そこにキリスト教という新しいものが入ってきて、武士たちのアイデンティティー・クライシスを埋めるような新しい理念としてキリスト教を受け入れていった、ということになります。

さらに、宣教師たちが持ちこんだピューリタンの禁欲的な倫理というものは、彼らがもともと持っていた武士道の精神と類似していました。ピューリタンのキリスト教徒はとても禁欲的で、自分を修練するという性格が非常に強いです。クラーク博士が教えたキリスト教も大変禁欲的で、修練型のキリスト教でした。これと彼らがもともと持っていた武士道の精神がマッチして、とても受け入れやすいものとして映ったわけです。

このように、初期はキリスト教は順風満帆と言いますか、どんどん伸びていきます。このままずーっと伸びていれば、おそらくキリスト教人口はもっと増えていたであろうと思いますが、やはり途中で暗雲が立ちこめると言いますか、よくない状況が起こってくるわけです。それが何かというと、ナショナリズムの台頭とそれによって始まったキリスト教バッシングという状況です。このことについては次回説明します。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

初期の改宗者たち

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