いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第26回

内村鑑三不敬事件②

text by 魚谷俊輔


先回は、教育勅語に記された天皇陛下の宸署(サイン)に対して内村鑑三が敬礼を拒否したことを解説しました。内村には天皇陛下を冒涜するつもりはなく、唯一なる神以外のものを礼拝することに対するキリスト者の良心から頭を下げるのを躊躇したに過ぎなかったのですが、それを目撃した周りの人々は、「何で彼は天皇陛下の宸署に対して頭を下げないんだ! 非国民だ! 不敬罪だ!」ということで、大騒ぎになったわけです。そして、「何故彼は頭を下げなかったのか? それはクリスチャンだからだ。そもそもクリスチャンというやつらは非国民なんだ」という議論が始まってしまいました。これがキリスト者の忠誠に関する国家的次元の論争にまで発展して、いわゆるナショナリズムの復活の中で、キリスト教は一種の「スケープゴート」のような役割を担わされるようになってしまったわけです。当時のプロテスタント人口の伸びをグラフで表すと、ちょうど内村鑑三不敬事件が起こったあたりから、伝道の伸びが鈍っています。すなわち、伝道不振の時代が始まったということです。

それではこの内村という人物はどんな人物なのかというと、天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したということで、左翼的な人物で、愛国心がないのかというと、そうではなくて、実はとても愛国的な人だったのです。誰よりも日本を愛する人でありました。内村のモットーはよく「2つのJ」という言葉で表現されます。

「私は2つのJを愛する、それはJesusとJapanである。」

Jesus(ジーザス)を愛するということの中に、キリスト教徒としてのアイデンティティが表現されており、Japan(日本)を愛するということの中に、愛国心が表現されていて、これを如何に一致させるかということが、内村が生涯かけて求めた内容だったわけです。彼の聖書の背表紙に生涯書かれていて、最後にお墓に刻まれた言葉がこの有名な言葉です。

内村鑑三の墓標

I for Japan(われは日本のため)
Japan for the World(日本は世界のため)
The World for Christ(世界はキリストのため)
And all for God(そしてすべては神のため)

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

内村鑑三不敬事件②

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