いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第20回

信徒の再発見

text by 魚谷俊輔


厳しい迫害の中で信仰を保っていた潜伏キリシタンたちに対して、神が慰めを与えたという証しがあります。長崎の外海(そとめ)地方では、殉教したバスチャンという名の日本人伝道師の残した予言を信じ、未来に希望を託してきました。「コンヘソーロ(告白を聞く神父)が、大きな黒船に乗ってやって来る。どこでも大声でキリシタンの歌を歌って歩ける時代が来る」という預言が伝えられ、「7代たてば、よか世になる」と信じられていたわけです。それで信徒たちは7代たてば迫害が終わるんだと信じて待ち続けたわけです。すると7代250年経ったら本当にペリーが黒船に乗ってやってきて、開国されて、キリスト教が解禁になっていきました。まさに神が与えたとしか思えないような預言が、苦難の中にあるキリスト教徒に伝えられていったのです。

1853年7月にペリーが蒸気船4隻を率いて浦賀沖に来航して、日本が開国すると、隠れキリシタンとして潜伏していた人々が発見されるという事件が起こります。日本が門戸を開いたということを聞いて、カトリックのパリ宣教会からプチジャンという宣教師が長崎にやって来ました。この人は「大浦天主堂」を建てた人ですが、これが現存する日本最古のキリスト教会と言われています。さて、1865年3月17日にプチジャン神父がこの大浦天主堂の祭壇前の床にひざまずいて祈っていると、数人の男女が神父に近づき、耳に口をよせて、以下のようにささやいたわけです。「ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ」「サンタマリアノゴゾウハドコ?」

大浦天主堂

この「ムネ」というのは、宗教の「宗」という字ですね。つまり、「私の宗教はあなたの宗教と同じです」と言いながら日本人の数名の男女が神父様のところにやってきたということですから、「私たちはキリスト教徒です」ということを告白したわけです。神父としては、この日本においては二百数十年前にキリスト教は滅びたと思っているわけですから、まさか隠れキリシタンの末裔がいるとは思っていませんでした。そこに、地下教会で信仰を保っていた人たちが現れて、「同じ信仰を持っている」と言ったわけです。半信半疑で聞いていると、「聖マリアの像はどこにありますか」と聞いたので、間違いなくのこの方々はカトリックの信仰を保ってきた人たちだということに気付いて、7世代250年ぶりに潜伏していたキリシタンが宣教師と出会うという劇的なことが起こったわけです。

この話は「信徒の再発見」ということで、世界中にキリスト教宣教史上における一つの奇跡として伝えられるようになります。日本にはこういう素晴らしい信仰の証しもあるのです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

信徒の再発見

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