いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第31回

終戦とキリスト教

text by 魚谷俊輔


1945年に終戦を迎えると世の中は一変し、信教の自由が広く認められるようになります。1946年には日本国憲法が公布されます。そして、カトリック教会と日本ハリストス正教会はほぼもとの形に復興します。そうすると、政府の圧力によって無理やり合同させられた日本基督教団はどうするのかということになりました。一部の教団は、旧教派の伝統を守るために離脱します。こうして戦後独立したのが、日本聖公会、日本基督教会(長老派)、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟、日本ナザレン教会(メソジスト系)、救世軍などです。そして一部の教団は、統合されたままの日本基督教団に残って、それがいまの日本基督教団になっているという状況です。いまでも、この日本基督教団はいわゆる正統的なキリスト教会の中では最も信者数の多い教団です。

さて、戦後GHQはキリスト教の伝道を全面的に支援し、多くの宣教師が来日しました。そして1951年に宗教法人法が制定されます。この宗教法人法の目的は、「宗教活動をしやすくするなど、信教の自由を尊重する目的で、宗教団体に法人格を与えることに関する法律」とされております。基本的には戦前あまりにも宗教を弾圧しすぎたので、今度は信教の自由を尊重しようということで、戦後の法律が作られました。ですから、1945年以降の戦後の日本というのは、キリスト教の拡大にとっては歴史上かつてないほどの恵まれた環境であって、それが実に70年以上にわたって長く続いています。

ということは、戦後キリスト教が爆発的に伸びてもおかしくないような恵まれた環境が非常に長い間続いたことになります。では実際にどうだったかというと、1950年代にはさすがに信者数も大きな伸びを示しましたが、1960年代以降はふたたび停滞し始めて、いまだに人口の1%を超えていないというのがキリスト教の現状です。

これが戦後日本のキリスト教人口の推移を表したグラフです。カトリック、プロテスタント、オーソドックスのすべてを合わせた数です。1948年には30数万人で人口の0.42%でした。1950年代には伸びました。0.7%になるまでは順調に伸びたのですが、それ以降、0.8%程度で伸び悩むようになります。2008年まではそれでも微増と言えたのですが、それ以降は数の上でも、人口比の上でも減少局面に入ってしまいました。2008年からは日本の人口自体が減っていますので、数が減るのはいたし方ないとしても、割合まで減っているというのは深刻です。つまり、戦後の日本のキリスト教は、伸びるかなと思ったら伸びなかった、という結論になるのです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

終戦とキリスト教

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