#19 潜伏切支丹の歴史
いまさら聞けない「日本基督教史」
#19 潜伏切支丹の歴史
- UPF-Japan事務総長 | 魚谷俊輔
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1964年生まれ。千葉県出身。東京工業大学工学部化学工学科卒。95年に米国統一神学大学院(UTS)神学課程を卒業。2000年に日本に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が創設されるにともない、事務次長に就任。05年より、国連NGO・UPF-Japanの事務次長、17年8月より同事務総長。
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日本のキリスト教の歴史に残る人々の中に、「かくれ切支丹」とか「潜伏切支丹」と呼ばれる人々がいます。殉教者がどういう人たちであるかというと、「踏み絵」を踏まず、棄教を断固拒否して、キリシタンであることを告白し続ける、そして自分の生命を捧げるという形で信仰を表現した人々でした。これとは別のやり方で信仰を表現しようとした人々もいたのです。すなわち、「踏み絵」を踏めと言われたときに、その場では踏み絵を踏んで、家に帰って「神様、イエス様、申し訳ありません」と悔い改めのお祈りをして、生き延びて、そして子供に信仰を伝えていくという道を選んだ人たちがいたのです。これが、「かくれ切支丹」とか、「潜伏切支丹」と呼ばれる人々の歴史です。
そのように隠れてキリスト教の信仰を伝えながら、7代250年にわたって子々孫々にまで信仰を維持していったグループが存在するのです。これもまた本当に驚くべきことです。親が信じる信仰をもし子供に伝えたら、その子供がその信仰を受け入れて、熱心に信仰すればするほど、もし発覚してお役人に捕まったら殺されるかもしれない、そういう信仰なのです。親として、この信仰を伝えたら殺されるかもしれないというような教えを、どうして子供に伝えるのかということです。それでも彼らは伝え、伝えて、7代250年伝えたということですから、これもまた恐るべき信仰です。ある意味で、殉教に勝るとも劣らない信仰だということになるわけです。
しかも、これはカトリックの信仰です。カトリックというのは、司祭様がいて典礼を行ってくれないと保てないようなタイプの信仰です。しかしバテレン追放令で司祭が全部出て行ってしまったので、信徒の群れしか残されていません。その中でキリスト教の儀式を守りながら、秘密裏に、役人に捕まらないようにいろんな工夫をしながら、信仰を維持してきたわけです。その工夫の一つがこの「マリア観音」です。
お役人が来たら、「これは観音様です」と言うわけですが、心の中ではマリヤ様だと思って信じるわけです。そのようにさまざまな偽装をしながら信じ続けるということをやってのけたということも、実はキリスト教の歴史上、他に類例のないことです。ですから日本民族というのは、他に類例がないくらい過酷な迫害を行った民族であると同時に、他に類例がないくらい驚異的な信仰を見せた民族でもあるわけです。