いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第24回

復古主義を背景としたキリスト教バッシング

text by 魚谷俊輔


明治初期の日本は、約220年にわたる鎖国によって文明が非常に遅れていました。そこに西洋文明が入ってきて、その圧倒的な力を見せつけられたので、日本の国是は、文明開化、富国強兵、殖産興業、西洋列強に追いつき追い越せということでした。そのためには西洋からすべての文化・文明を吸収しなければならないというのが、基本的な日本の立場でした。ですから、西洋からすべてのものを学ぶ中で、その一つとしてキリスト教も吸収していったということになります。

最初の十数年間はそれで良かったわけですが、それが一段落するとどのように変わっていったかというと、外的文明は受け入れたとしても、内的文明まで受け入れる必要はないという考え方が出てきます。近代化において外的文明とは何であるかというと、科学技術であり、議会制度であり、病院であり、学校であり、これらは近代化には絶対に必要です。内的文明とは何であるかというと、それは精神文明であり、やはりキリスト教ですが、それまで受け入れる必要はないんではないかという考えを「和魂洋才」と言います。和の魂と洋の才能ということですが、これは西洋の科学技術は学ぶけれども、魂まで西洋に明け渡す必要はないんじゃないかという考え方です。日本には日本古来の「大和魂」があるのだから、西洋に魂を明け渡す必要はない、科学技術だけ学べばいいということで、精神的な面における復古主義が起こっていったわけです。

そして明治政府は、国をまとめるために国民のアイデンティティーを強固にしなければなりませんでした。そこで国を一つにするために、天皇を中心とする国づくりを始めるわけです。ですから、天皇陛下に対する忠誠心を国民のアイデンティティーとする「国体イデオロギー」というものが形成され始めて、その宗教的表現としての「国家神道」というものが確立されていくようになります。日本国民を一つにまとめて国を発展させていくために、天皇は国民の父親であり、それは同時に神道の祭司であると位置付けたわけです。これは神道を国家の宗教、いわゆる国教のような立場に立てて国民を教育していくという体制になっていくということです。そうなってきますと、国家神道ならびに天皇陛下に対する忠誠心と、キリスト教信仰は相容れないものとなってくるので、キリスト教に対する風当たりが強くなり、キリスト教に対するナショナリズムを背景としたバッシングが始まっていくという構造になっていきます。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

復古主義を背景としたキリスト教バッシング

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