いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第33回

土着化の失敗

text by 魚谷俊輔


先回は、第二次世界大戦終了後に日本のキリスト教は環境的には恵まれていたにもかかわらず信者が増えなかった理由として、キリスト教自体が急速に反権力、反天皇主義に傾斜していき、左傾化していったことが失敗であったと説明しました。今回は、戦後のキリスト教が伸びなかったもう一つの理由を探っていきます。

戦後の日本では、キリスト教の代わりにさまざまな新宗教が勢力を伸ばしました。マックファーランドという宗教学者がこれを「神々のラッシュアワー」と呼んだくらい、日本の戦後というのは新宗教がどんどん誕生した時代でした。また、霊友会、立正佼成会、創価学会などの教団は、設立は戦前であっても戦後になって巨大教団に成長してその存在感を示すようになりました。これは本来キリスト教徒になっても良かったような人々を、こうした新宗教が吸収していったということであり、キリスト教はマーケット争いに完全に敗北したということになります。

なぜ敗北したのかというその理由の一つに、「土着化」に失敗したということが言えるでしょう。「土着化」とはどういう意味でしょうか? キリスト教は西洋の宗教です。それが日本に入ってきたときに、西洋的なものを身にまとったまま日本に入ってこようとしても、文化の壁があるのでなかなか受け入れるのが難しいわけです。これを真に日本人が受け入れられるような、日本人に分かりやすいキリスト教にする努力のことを「土着化」と言います。それをキリスト教は十分にしてこなかったようです。キリスト教はとてもエリート主義で、日本文化との融合を嫌い、先祖供養に代表されるような日本の土着の文化を否定してきたわけです。日本人にとって先祖を敬い供養するということは宗教の中心です。しかし、キリスト教は先祖供養に対して神学的意味を何も見いだしませんでした。先祖を大切にする日本人にとっては、キリスト教というものは受け入れがたいものだったわけです。根本主義的なキリスト教の場合には、クリスチャンになるためには仏壇を棄てなければならない、神棚も棄てなければならないということになります。それが日本人の精神性と合わないので、日本の文化をもっと尊重するキリスト教にならなければ、これ以上広まることはできないだろうということです。

最後に、日本という国でこれからの時代に必要とされるキリスト教がどんな性格を持つべきかを明らかにして、このシリーズを終えたいと思います。それはまず、東洋に土着化したキリスト教でなければなりません。特に、家庭や先祖のを大切にする日本人の伝統的な宗教性にマッチしたキリスト教でなければなりません。次に、共産主義との思想的な戦いに勝利できるキリスト教でなければなりません。そもそも、唯物論である共産主義はキリスト教徒は相容れない思想です。左翼思想に毒されることなく、むしろその欺瞞を暴くことのできるキリスト教でなければならないのです。<了>

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

土着化の失敗

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