#2 キリスト教宣教の3回のチャンス
いまさら聞けない「日本基督教史」
#2 キリスト教宣教の3回のチャンス
- UPF-Japan事務総長 | 魚谷俊輔
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1964年生まれ。千葉県出身。東京工業大学工学部化学工学科卒。95年に米国統一神学大学院(UTS)神学課程を卒業。2000年に日本に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が創設されるにともない、事務次長に就任。05年より、国連NGO・UPF-Japanの事務次長、17年8月より同事務総長。
\ contents /いまさら聞けないシリーズ
先回から、「いまさら聞けない日本基督教史」と題する新しいシリーズの投稿を開始しました。今回はその2回目です。日本人とキリスト教がいままでの歴史で出会うことのできるチャンスは、大きく分けて3回あったと言われております。
1番目が「切支丹時代」と呼ばれるものです。これは1549年から1638までの約100年くらいの期間です。日本の歴史でいえば戦国時代から安土桃山時代、江戸時代の初期にかけての激動の時代ですが、この時期にキリスト教は初めて日本に伝えられ、日本の地で大きく広まるチャンスがあったわけです。
2番目が、江戸幕府が倒れ、鎖国体制が終わって、明治維新になってから第二次世界大戦の終戦までの期間、すなわち1868年から1945年までの期間です。このときにもキリスト教が伸びる大きなチャンスはあったわけです。特に切支丹禁制が解かれたばかりの明治初期は、キリスト教が大きく躍進した時代でした。
3番目のチャンスが、第二次世界大戦が終わって、戦時体制が崩れて、いまのような民主的な日本の体制になった時代です。これは1945年以降、いまに至るまでの期間ということになります。特に戦時期の宗教統制がなくなった終戦直後は、信教の自由の回復という恵まれた環境の中で、キリスト教が大きく躍進することのできるチャンスがあった時代だと言えます。
ところが結論から言うと、この3回ともキリスト教宣教は失敗しているわけです。もし成功していたら、キリスト教人口がいまだに1%以下などということはあり得ません。少なくとも10%とか20%くらいになっていても不思議ではありません。しかしいまだにキリスト教人口は1%以下で、少数派の宗教に留まっているわけです。世界においては冠たる基盤を持つキリスト教が、なぜ日本人においては1%以下という状況なのでしょうか。しかも、いまは1%でもどんどん教勢が伸びていて、将来発展していく兆しがあればまだよいのですが、いまの日本のいわゆる正統的なキリスト教徒の人口が増えているかというと、決して増えてるとは言えません。はっきり言えば、停滞しているのです。
そこで、キリスト教はなぜ日本に広まらなかったのかを中心的な問題意識としながら、上記の3つの時代をこれから概観していきたいと思います。その中で、キリスト教を広めようとした人々にどんな人がいたのか、またキリスト教宣教がどのような困難に直面したのかを解説していきたいと思います。