いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第14回

仏教の日本伝来

text by 魚谷俊輔


インドでお釈迦様が法を説いてから、千年の歳月を経てその教えはようやく日本にたどり着きました。日本の仏教史を語るときには、最澄、空海、法然、親鸞など、有名なお坊さんを中心として仏教の歴史が語られることが多いです。時代的には、12世紀から13世紀にかけて非常に有名なお坊さんがたくさん出ております。これは日本でいうと平安時代の末期から鎌倉時代に該当する時代ですが、「鎌倉新仏教」という言葉を聞いたことがあるだろうと思います。この時代が、日本の仏教では最も創造的な時代であり、新しい宗派が生まれたり、非常に高名なお坊さんが現れたりしています。江戸時代以降はどうかというと、新しい宗派はほとんど生まれておりません。

お坊さんを中心として仏教を語るやり方のほかに、仏教を保護した政治家を中心として語るという方法もあります。日本の仏教における最大の功労者と言われるのは、やはり聖徳太子です。飛鳥時代に日本に本格的に仏教を取り入れて、日本仏教の基礎を作った人として知られていて、仏教徒であれば誰でも聖徳太子を敬います。次に登場するのが聖武天皇で、東大寺と奈良の大仏を作った方です。それから、藤原道長という人は、平安時代に仏教をあつく保護したことで有名です。さらに時代が下れば、徳川家康は本末制度や檀家制度を作ることにより、仏教によって国を統治した人であります。いま日本に存在している仏教の形を作ったのは、徳川家康ということになります。

日本仏教の始まりですが、日本への仏教公伝は538年になります。「公伝」というのは、公式ルートで伝わったということです。私的にはそれ以前に渡来人などと共に伝わっていたということです。仏教は朝鮮半島から伝わってきました。百済の聖明王が、仏像一体と仏教の経典などを日本の欽明天皇に送ったわけです。欽明天皇としては、仏像と経典を受け取ったのですが、どうしようかということで、周りにいた貴族たちに相談しました。すると、その貴族たちの意見が二つに分かれたわけです。一方を「崇仏派」といって、大陸や朝鮮半島でも仏教を敬っているのだから、日本でも仏を祀ろうと主張した人々です。この勢力は、蘇我氏を中心としていました。それに対抗して仏を祀ることに反対する「廃仏派」と呼ばれる勢力があり、物部氏を中心としていました。このように仏教を受け入れるか受け入れないかで対立したわけです。

蘇我氏というのは、もともと渡来系の氏族でありますから、仏教になじみがあったわけです。それに対して、物部氏はもともと日本古来の祭祀を行っていたので、外からやって来た神を拝むわけにはいかない、という感覚で反対したわけです。当時の日本人の感覚では、仏は海の向こうからやって来た神であるととらえられました。このような神はマレビト神(客神)と呼ばれ、突然やって来た客神は得体のしれない存在であり、恐ろしい存在と思われたわけです。このように、しばらく崇仏派と廃仏派が争ったわけでありますが、最終的には仏教を敬う方が勝っていくことになります。こうして仏教を柱とした国づくりが始まっていくわけです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

⑭仏教の日本伝来

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