#3 苦行と瞑想の末に真理を悟る

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いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

#3 苦行と瞑想の末に真理を悟る

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UPF-Japan事務総長 | 魚谷俊輔

1964年生まれ。千葉県出身。東京工業大学工学部化学工学科卒。95年に米国統一神学大学院(UTS)神学課程を卒業。2000年に日本に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が創設されるにともない、事務次長に就任。05年より、国連NGO・UPF-Japanの事務次長、17年8月より同事務総長。

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お釈迦様は29歳のときに、「最高の真理をつかむまでは城に戻らない」という覚悟をして、妻子を置いてカビラ城を出てしまいます。その後、6年間にわたって修行の生活をするわけでありますが、近隣の国に「マガタ国」という国があって、その王舎城というところに入って行って、先生を探し求めます。当時のインドの宗教は「バラモン教」というのですが、いろんな先生がいて、たとえば瞑想のやり方を教えてくれる先生がいました。当時からヨガのように、「禅定」(座禅瞑想)という習慣はあったわけです。禅定の目的は、全ての執着を捨てることにありました。そこでお釈迦様は禅定を行う先生のところに弟子入りするわけですが、やはり天才的な宗教者だったのか、すぐに無執着の境地に到達してしまって、簡単に先生を追い抜いてしまいました。そこで、これ以上学ぶことはないということで、誰にも師事することなく、自ら苦行の生活を始めます。

それは超人的な苦行の生活であって、後にお釈迦様は、自分は断食をはじめ、「他の誰よりも苦しい修行を行った」と語っています。すなわち「難行苦行」を実践し、一生懸命自分の肉体を苛めて、修行をし抜いたということです。でも、どんなに修行をしても悟れなかったということです。

そこでお釈迦様は6年近くにわたる苦行生活をやめて、禅定、すなわち深い瞑想に入ったわけです。6年近くにわたる苦行をやめたときに、スジャータという少女が「乳粥」をお釈迦様に出して、それが断食で傷んだ体を癒してくれたので、非常に良い供養になったというのは有名な話です。

お釈迦様が菩提樹の下で瞑想をしているときに、次々に恐ろしい悪魔が現れて、お釈迦様に悟りを開かせまいとして誘惑しました。あるときは恐ろしい形相で、「お前なんか悟る資格はない」と脅したり、あるいは美しい女性の姿で誘惑したりしたそうであります。そのようなさまざまな雑念、悪魔の誘惑を打ち勝って、瞑想に入って8日目の12月8日の朝に、ついに真理に目覚めて「仏陀」となられたわけです。これを「成道」(じょうどう)されたと言います。恐らく長年の修業が悟りを開くための何らかの条件となったのでしょう、その土台の上に瞑想をして、真理を悟られて、それから説法の旅に出発されたということになります。

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