いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第17回

神仏習合

text by 魚谷俊輔


さて、日本における仏教受容の一つの特徴として、「神仏習合」があります。これは、もともとあった日本の神道と、外国からやってきた仏教が混ざり合っていくことです。仏教が日本に受容される過程において、土着の信仰である神道としだいに融合していき、神と仏を一緒に祀るようになりました。これが日本では古来から継続して存在しています。一神教の人からすればとても信じられないことですが、「神仏習合」が日本の伝統です。

神仏習合は、思想的にいくつかの段階を経て進行していきます。最初の段階が「神身離脱説」であり、これは仏教側が神道を取り込もうとして説いた教説でした。これは「神は輪廻の中で煩悩に苦しんでいる身であり、仏教によって救済される」という考え方であり、神は「神身」を離れて仏に帰依し、迷いから逃れたいと思っている」と主張されました。こうした考え方に基づいて、8世紀ごろから、神社に付属して「神宮寺」という仏教寺院が建てられるようになりました。一つの敷地の中に、神社とお寺が両方あるということです。何の違和感もなくそういうことをやっていたわけです。

平安時代中期になると、仏と神の関係に関する新しい解釈が生まれて、「日本古来の神々は、仏が衆生救済のために姿を変えて顕われた存在である」という考え方が一般的になってきました。これを「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」といいます。「本地」とは本体あるいは原型という意味で、「垂迹」とは化身あるいは変形という意味です。すなわち、「本来は仏であったものが、日本人の前では神に形を変えて現れて、仏教が伝来する前から信仰されていたんだ。したがって、仏教と神道は根っこは同じなんだ。」という理論構築をしたということです。例えば、八幡神や熊野神は阿弥陀如来の仮の姿であり、伊勢神宮は大日如来の仮の姿であるというような解釈がなされました。

代表的な「仏家神道」には両部神道(真言宗)、山王神道(天台宗)、法華神道(日蓮宗)などがあり、いずれもその神社で祀られている神と仏教の大日如来、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来などを同一視する解釈がなされました。

これにより、日本の神道と仏教は共存体制のまま、江戸時代が終わるまで来ることになります。ところが明治時代になると急に、「天皇陛下の宗教は神道である、仏教と混ざってはいけない!」ということで、いきなり「神仏分離令」が出されるようになります。これは神道と仏教の人為的な分離です。ですから、日本の伝統というのは結構、宗教を人為的にいじる伝統だったということになります。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

⑰神仏習合

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