いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第19回

最澄と天台宗

text by 魚谷俊輔


ここで最澄の歩みについてまとめておきましょう。彼は14歳で出家し、19歳で東大寺で受戒し、本格的な僧となります。彼は官僧として南都六宗の教義を学ぶのでありますが、それに満足できず、比叡山にこもるようになります。いまでこそ比叡山には延暦寺という立派なお寺がありますが、当時は山籠もりするところだったわけです。804年、36歳のときにに遣唐使と共に唐に渡り、天台山で天台教学を学び、大乗仏教の戒律である菩薩戒を受けます。その後、不完全ながら密教を修め、約1年間留学した後に帰国します。帰国後、天台宗を開宗し、僧侶に菩薩戒を授ける大乗戒壇を設けるために朝廷に働きかけるわけであります。

当時はまだ、奈良の仏教が権威でした。ですから、最澄は奈良の仏教である南都の諸宗と対立して激しく論争しました。奈良時代に鑑真がもたらした戒律は上座部仏教のものだったので、細かくて厳しく、一般大衆には到底守れないものでした。そこで最澄は、より簡略化された菩薩戒を授けることを主張しました。その主張は最澄の没後まもなく認められ、比叡山に戒壇が設立されます。こうして天台宗の伝統が出発します。

天台宗とはどういう宗派であるかといえば、中国にもともとあった天台教学を基に、密教の要素、禅の要素、および戒を融合した、とても総合的な仏教であると言えます。主な経典としては、「法華経」(妙法蓮華経)があります。本山は大変有名な比叡山延暦寺で、滋賀県にあります。比叡山延暦寺は長らく日本の仏教界における最高権威として君臨し続け、後に法然、親鸞、道元などの「新仏教」の開祖は、みな最初はこの比叡山で学びました。その意味で、比叡山延暦寺と天台宗は日本仏教の母胎であり、ゆりかごのような存在であるということになります。

天台宗の教えは、誰もが仏になれる種を持っているという「悉有仏性」(しつうぶっしょう)を基本としています。さて、やがて比叡山は南都(奈良)と並ぶ仏教勢力となり、平安時代に発展して大きな権威を持つようになります。権威を持てばどうなるかというと、次第に他宗を弾圧したり、僧兵を持つ武力勢力になったりするわけです。ですから天台宗のイメージというのは、日本仏教におけるカトリック教会みたいな感じです。最も伝統と権威があって、そこからいろんな宗派が分派して出てくるということです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

⑲最澄と天台宗

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