いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第23回

法然と親鸞

text by 魚谷俊輔


今回は法然と浄土宗について簡単にまとめます。法然(1133〜1212)は平安末期から鎌倉時代にかけて生きた人で、比叡山で天台教学を学んだのでありますが、『観無量寿経疏』を読んで、念仏こそ救いの原点であると確信するようになり、「専修念仏」という考えに行き着きます。そこで43歳で比叡山を下山して、浄土宗を開きました。1198年『選択本願念仏集』を著して、念仏を体系化しました。ところが、この新しい仏教は、ちょうどプロテスタントがカトリックから迫害されたのと同じように、権威である比叡山から迫害されるわけです。法然が74歳のとき、既に彼の晩年でありましたが、比叡山から弾圧を受けて、朝廷によって讃岐の国に追放されてしまいました。このように、法然の浄土宗は大変大きな迫害を受けます。

法然の弟子が親鸞(1173〜1262)です。親鸞は法然よりも30歳年下です。ということは、法然は晩年になって迫害を受けるわけでありますが、親鸞自身が迫害を受けたときはまだ若かったわけです。この人はもともと比叡山で20年間修業した人だったんですが、法然の「専修念仏」の教えに感銘を受けて弟子入りしたところ、念仏に対する弾圧に巻き込まれ、越後の国(現在の新潟)に流され、強制的に還俗させられるわけです。「還俗」というのは僧侶を辞めて一般の衆生に戻るということです。彼は結婚して妻子を持つようになります。

僧侶でありながら妻子を持つということは、当時はものすごいスキャンダルでした。その体験、すなわち自分は僧侶でありながら妻を持ってしまった、そして子供をつくってしまったということで、親鸞は僧でもなければ俗人でもない、「非僧非俗」という矛盾に満ちた生涯を迫害の中で送っていくわけです。そうすると、修行をすることによって自力で悟るという考え方にはならないで、こんなに罪深い自分でも救ってくださる阿弥陀如来様の大きな恩恵を強調する、「他力信仰」に傾いていくわけです。

「絶対他力」が親鸞の信仰でしたが、この「絶対他力」というのは、迫害によって強制的に還俗させられて、僧侶でありながら結婚してしまったという、いわば親鸞の罪意識のようなものから芽生えてきた信仰であると言えます。すなわち、他力と信を重んずる信仰ということになります。親鸞の話を聞いていると、キリスト教でいえばアウグスティヌスのような感じがします。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

㉓法然と親鸞

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