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ネット空間に生み出される他者への不寛容と憎悪にどう向き合うべきか

NZ銃乱射事件とSNS規制の議論が投げかけるもの


オーストラリアのモリソン首相は3月30日、SNSの運営会社に対し、テロなど暴力的な犯罪行為の動画を迅速に削除することを義務づける法案を発表しました。3月15日、ニュージーランド・クライストチャーチのモスク2カ所で50人が亡くなった銃の乱射事件を受けての措置です。容疑者はオーストラリア出身の白人至上主義者で、モスクを襲撃する直前にインターネット上に犯行声明を出し、襲撃する様子を自ら撮影し、ネットの動画でライブ配信していました。

事件では、過激思想がSNSなどを通じて増幅し、瞬時に拡散する構図が改めて浮きぼりになりました。襲撃の模様とされる動画がフェイスブックで生中継され、事件発生から数時間たった後も、ツイッター、インスタグラム、ワッツアップ、ユーチューブでも視聴が可能となっていました。

こうした拡散は類似犯を生み出すきっかけになる恐れもあり、国際社会やIT大手も対策を強化していますが、有効な手立てを講じられていないのが実情です。

ITやネット技術につながった現代社会で起きているこうした事件は、テクノロジーの急激な進化が私たちの社会や文化に与える影響に対し、その受け止めや対策が追いついていないことの証左と言えるでしょう。

かつて、急速に進むグローバル化が一国家の政治経済政策を無力化すると同時に、コンピュータによる情報のグローバル化は政治、文化にも影響して国民意識を希薄化させ、国家主権そのものをも脅かす存在になったと指摘したのは、現代経営学の大家であり、未来学者とも呼ばれたピーター・ドラッカーでした。彼はグローバリズムが覆う現代では、世界中の商品を使用し、国境を越えてビジネスを行い、ネット上で世界の人々と交流を行う一方で、人は自らの中に民族や文化、宗教へのアイデンティティを求め続けていると述べています。

インターネットやSNSが中心となった社会は、従来の権力や階層関係を離れ、世界をより開かれた自由な空間にするというプラス面と、匿名性に満ちた閉鎖空間でもあるというマイナス面を持ち合わせています。つまり、人々は世界の誰とでも好きにつながることができる反面、コンピューター画面の前で孤立しているという矛盾を抱えているのです。こうした矛盾が、ネット空間にコミュニティを生みだす一方、その発言や行動に対するコミュニティの責任は置き去りにされていると指摘する専門家もいます。責任を共有しないネット空間の中で、人々はSNSを通じて不安や憎悪を増幅させ、社会を「おれたち」と「あいつら」に分断しているのです。

モリソン首相は事件直後から、自らの宗教、民族、国家、政治信条などと異なる考えを持つ他者を拒絶し、屈服させようとする「トライバリズム」について警鐘を鳴らしています。同じ主張の人々がまるで「部族」のようにまとまり、他を排斥し、攻撃するトライバリズムは世界に広がっています。

高度な情報化社会において、果たして自由で多元的な社会は実現可能なのでしょうか。SNSをどう使うか、有害な情報をどう見分けるかといった議論と同様、それを使う私たちが他者との違いを受け入れ、尊重するという基本的な倫理観を共有し、自らの投稿や発信が他者にどのような影響を与えるかを自問する姿勢が必要とされています。

(Q)

ネット空間に生み出される他者への不寛容と憎悪にどう向き合うべきか

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