いまさら聞けない「日本基督教史」

いまさら聞けない「日本基督教史」 第7回

キリスト教が躍進した理由①

text by 魚谷俊輔


日本のキリシタン人口の最盛期は1600年ごろで、そのころには日本の総人口の2.4%に達していました。これはかなりの成功を短時間で成し遂げたと評価することができます。では、どうしてキリスト教は躍進したのでしょうか? キリシタン時代にキリスト教が躍進した理由としては、以下のようなものが挙げられます。

まず、有力なキリシタン大名が宣教を支援し保護したことです。当時は戦国時代ですから、日本には統一政権がありませんでした。ですから、大名たちが自分の領地に対して全面的な責任をもっていたわけです。とういうことは、その大名さえ許可すればその地で自由に宣教できたわけです。イエズス会の宣教師たちは非常に賢い人々で、戦略的に動きました。彼らはまず初めに、実質的な権力を持っている大名のところに挨拶に行きました。「私たちは西洋から来た宣教師です。ここで布教する許可を取りたいのですが」と言って、大名がそれに対して許可を出したわけです。その公認の下で宣教したわけです。

なぜ大名たちは宣教を許可したかというと、それは南蛮貿易の利益が大名にとって非常に魅力的だったからです。これは世俗的な理由ではありますが、宣教師たちはそういう強みを持っていました。スペインやポルトガルから彼らがやってきて、西洋の珍しい文物を見せれば、大名たちはすごく喜んだのです。特に戦国時代ですから、鉄砲に関心を持ちました。その利益を大名に売り込んだのです。この当時の宣教師は貿易の船に乗ってやってきていたので、貿易と宣教はセットになっていたわけです。貿易から来る利益は大名にとって非常に魅力的だったので、それとセットになっているキリスト教の宣教は、「どうぞ自由にやってください」というような関係になったわけです。

そして中には自身もキリスト教に改宗するような大名が出てくるようになります。戦国時代のキリシタン大名にとってキリスト教の神は、戦に勝つための守り神のようなものでした。それまでは神道の神社にお参りして戦に勝つことを祈願したわけですが、それがキリスト教の神にとってかわったような感じです。このように大名がキリシタンになるとどうなるかというと、領主が改宗することによって領民が集団入信するケースが出てくるわけです。すなわち、お殿様が信者になったので、その家臣も全員キリシタンになれということです。ということは、実際にはキリスト教の内面をあまり理解せずに信徒になった者もかなりたくさんいたということになりますが、それが一つの文化になり伝統になれば、その中で信仰が育っていくということもあります。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

キリスト教が躍進した理由①

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