米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第4回

国連に共産主義の侵入許したルーズベルト大統領

text by 魚谷俊輔

 

国連ができていく初期の段階における最大の失敗は何だったのかといえば、やはりアメリカのトップであったルーズベルトが、自由民主主義国家群の革命を目指しているソ連を国連創設のパートナーとして信頼してしまったということです。それに乗じてスターリンは国連が創設されたときに多数のエージェントを送り込んで、主導権を握るようになったのです。

そのようなエージェントの1人がアルジャー・ヒス(1904-1996)という人物です。この人はルーズベルトの側近であり、アメリカの国務省の高官だったのですが、実はソ連のスパイだったのです。この人は共産主義のスパイであることを否定した偽証罪で1950年に有罪になっておりますが、こういう人物がヤルタ協定の草案を作り、国連憲章草稿を作った中心人物になったということですから、かなり初期の段階から国連に共産主義思想が入り込んでいたということになります。

もう一人がエレノア・ルーズベルトです。この人はフランクリン・ルーズベルトの夫人です。彼女はルーズベルト政権の女性やマイノリティに関する政策に大きな影響を与えました。夫の死後、第1回国連総会のアメリカ代表に指名され、国連人権委員会の初代議長となり、世界人権宣言を自ら起草して1948年に採択させています。一貫して「女性問題」を扱ってきたわけですが、この人の別名が「エレノア・ザ・レッド」です。進歩的なアメリカの偶像的存在ということで、彼女の左翼的な思想は当時のアメリカ人からも「エレノア・ザ・レッド(赤のエレノア)」と呼ばれるほどであったということです。

彼女の周辺にはアメリカ共産党員やコミンテルン関係者が集まっており、その人脈がルーズベルト政権と国連に侵入して「赤のネットワーク」を構築していったのです。つまり、アメリカのトップであるルーズベルトがまず自分の家庭の中に、そして国務省の中に、さらに国連の中に共産主義の侵入を許してしまったということが、その後の国連の問題点となっていったのです。

(つづく)

国連に共産主義の侵入許したルーズベルト大統領

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