米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第3回

戦勝国5カ国で安保理常任理事国を形成

text by 魚谷俊輔

この構想がそのままヤルタ会談に持ち込まれ、やがて形を作っていくこととなります。第二次世界大戦も終盤に入る中で、戦後処理のあり方について連合国の首脳がクリミア半島のヤルタに集まって話をしました。このときに国際連合についても討議がされ、その大枠ができていくことになります。上の写真を見ていただくと、真ん中に座っているのがルーズベルトです。やせ細ってガリガリです。このときルーズベルトは不治の病にかかっており、死の直前でした。このとき、チャーチルとルーズベルトとスターリンの間には微妙な温度差があったと言われています。チャーチルは反共主義者で、スターリンのことを「油断のならないやつだ」と警戒しておりました。しかし、ルーズベルトはスターリンに対して「話のわかる男だ」ということで、シンパシーを抱いていたのです。ルーズベルトのソ連に対する認識は、進歩的な社会主義の国だというくらいのものであり、彼はソ連の本質を見抜けていなかったのです。

このヤルタ会談で「4人の警察官構想」という構想が具体的に固まっていきます。すなわち、米英ソ中の4カ国で戦後の世界秩序を確立して平和を維持しようという構想です。これが「連合国=国連」の基本理念となっていきます。4カ国の同意のもとに、強力な軍事力によって平和と安全を維持していこうという考え方です。そこに後からチャーチルの提案で、形だけの戦勝国となったフランスを加えた5カ国で安全保障理事会の常任理事国を形成していこうという話になりました。実は第二次大戦ではフランスはドイツによって壊滅的な打撃を受け、事実上の敗戦国みたいなものだったのですが、フランスのもつ文化的な影響力を考慮して、チャーチルが「フランスも入れよう」ということにより、結局「5大国」ということになりました。このようにして、安保理の全ての決議に「5大国一致の原則」を貫こうということが、ヤルタ会談で確認されたのです。ここで同時に、スターリンの強い要求で、5カ国のうち1カ国でも反対すれば決議案は通らないことにしようという、「拒否権」というものをお互いに認め合ったのです。

(つづく)

戦勝国5カ国で安保理常任理事国を形成

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