米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第2回

原点となった「4人の警察官構想」

text by 魚谷俊輔

 

国連について理解するためには、その成立過程を正確に知らなくてはなりません。

いまある国連ができるようになった最初のきっかけは、「大西洋憲章」と呼ばれるものです。これは1941年8月、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が、大西洋上に浮かぶ“Prince of Wales”という軍艦の上で調印したものです。この憲章が調印された動機は、日独の暴走を排除して、戦後の世界に国際連盟に代わる平和維持機構を創設しようということでした。

ご存知のように第一次世界大戦が終わって国際連盟ができたわけですが、それが機能不全に陥って戦争を防ぐことができず、世界は第二次大戦に突入していきました。この「大西洋憲章」が調印された1941年8月の時点では、ヨーロッパではドイツとの戦いが始まっていましたが、太平洋戦争はまだ始まっていませんでした。しかし、日中戦争は続いており、アメリカとイギリスは中国を支援していたという立場です。ですから、日本との対決は避けられないというような状況の中で、戦争が終わったあとにどんな世界秩序を作っていくのかを、基本的には大英帝国とアメリカが主導して考えようということだったのです。この頃、大英帝国は植民地をたくさん持っている巨大な勢力でした。これが国連の発端であり、要するにその出発点は「米英による世界秩序の構築」ということになるわけです。

第二次世界大戦の最中に、ルーズベルトとチャーチルは連合国を構成する国の元首に会っていきます。カイロ会談では蒋介石に会い、テヘラン会談ではスターリンと会談して、ルーズベルトのアメリカ、チャーチルのイギリス、蒋介石の中国、スターリンのソ連の4カ国が、戦後において「世界の警察官」の役割を果たして、平和と秩序を維持していこうということで一致したわけです。これを「4人の警察官構想」と言います。これが国連の原点となります。

(つづく)

原点となった「4人の警察官構想」

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