米中対立で揺れる国連と日本の役割

米中対立で揺れる国連と日本の役割 第7回

中国の代表権問題、71年に台湾が追放される

text by 魚谷俊輔

 

前回は、第二次世界大戦後に中国国内で起きた内戦により、毛沢東率いる中国共産党と蒋介石率いる政府軍が戦い、敗れた蒋介石が海を渡って台湾に逃げ、台湾に「中華民国」の政府を移したところまで説明しました。一方で大陸では中国共産党が1949年に「中華人民共和国」を建国することにより、「2つの中国」が生じます。現在、中国は「台湾は国ではない。国ではないのに国であると勝手に言っているだけだ」と主張しており、これを「One China Policy」と言います。しかし、もともとは国連安保理の常任理事国は蒋介石の中華民国であったので、この「2つの中国」が国連で大問題になるわけです。

これが国連における「中国の代表権問題」と呼ばれるものです。1949年に中華人民共和国が成立すると国連の代表権が問題となり始めます。安全保障理事会の常任理事国に台湾のみを支配する中華民国政府がついているという事態はおかしいじゃないかと、ソ連が主張し始めるわけです。ソ連は中国代表権を直ちに新政権に変更すべきであると安保理で強硬に主張しました。しかしアメリカは中国共産党を認めたくないので、強硬に台湾支持を続けます。これに対してソ連は安保理をボイコットするという戦術をとったわけですが、その間に朝鮮戦争が勃発します。1953年に休戦協定が結ばれましたが、停戦後もソ連は代表権変更を主張し続けるわけです。

このように1950年代に東西冷戦が深刻化する中で、中国代表権問題は国連内部における激しい対立点となりました。1956年には平和共存の状況となって、日本その他の諸国がどんどん国連に加盟します。この代表権の変更は総会で議論されることになり、アメリカは日本などと結んで、なんとか台湾追放を阻止しようとしました。しかし、1960年代に新たに独立したアフリカ諸国などの加盟により、アメリカと日本は国連の中で少数派に転落し、ついに1971年の総会で代表権の変更と台湾の追放が決定されることになったのです。

(つづく)

中国の代表権問題、71年に台湾が追放される

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