世界思想

宗教の役割 | 現代の民主主義社会にも「人を善にする宗教の力」が必要

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宗教の役割 | 現代の民主主義社会にも「人を善にする宗教の力」が必要

「宗教」とは何か。「宗教」が現代人や現代社会において、どのような役割を担っているのか。特定の宗教を信仰する者もしない者も、改めて共に考える機会としたい。

2022年7月8日の安倍晋三元首相銃撃事件後、朝日新聞の週末別冊版「be」(9月17日付)が、「宗教」に関する読者アンケートの結果を掲載した。そのなかで注目すべきは、「宗教にどんな感情を抱いている?」との問いに対する回答だ(複数回答)。回答者2281人のうち、最も回答数が多かったのが、「布教や勧誘には抵抗感」で922人(40.4%)。その他6番目に「弱さにつけこんでくる」が553人(24.2%)と、宗教に対するネガティブな感情がうかがえる。一方、2番〜5番目までは、「心のよりどころ」761人(33.4%)、「先祖と交流する手段」731人(32.0%)、「心の平穏が保てる」648人(28.4%)、「伝統や歴史に根ざしている」570人(25.0%)とポジティブな感情も示されている。あくまでも新聞の読者アンケートだが、平均的な日本人の回答(割合)が示されているのではないだろうか。

日本では1990年代のオウム真理教の事件以降、宗教に対する忌避感が社会全体に深く根を張っている。オウム真理教事件は極めて特殊な事例だが、「布教や勧誘」への「抵抗感」や「弱さにつけこんでくる」といったイメージは、宗教(団体や信者)の側にも責任があるだろう。「宗教」とは何かを考える際に問われるのは、それぞれの宗教が指し示す「理想」以上に、宗教団体や信者らの「現実」(実態)だ。特定の宗教を信仰しない人々にとっては、ある宗教団体やその信者らの「実態」が、「宗教」全般の評価・判断に直結する場合がある。

しかしながら、宗教を巡って何か争いや問題が起こった際、「宗教」自体が即問題だと断言できるだろうか。

UPF創設者である文鮮明総裁は、1991年に全世界の宗教学者40数人を集めて、『世界経典』(World Scripture)を編纂(へんさん)した。これは、「世界の主要な宗教の経典に登場する言葉を、テーマごとに比較、研究し、まとめたもの」で、その編纂を通じて得た「結論」を文総裁は次のように述べている。

「世界の宗教が間違っているのではなく、信仰の教え方が間違っていたという事実でした。誤った信仰は偏見を呼び、偏見は争いを呼びます」(文総裁自叙伝『平和を愛する世界人として』)

伝統的な宗教――仏教やキリスト教、イスラム教から新宗教に至るまで、その「信仰の教え方」が間違っていないか、「誤った信仰」になっていないか、信仰を教える側も、その宗教を研究(検証)する側も、よくよく注意しなければならない。

『世界経典』の編纂を終えた文総裁によると、「全世界の宗教の7割は同一の教えを伝えてい」た。そして、宗教の本来の役割は、「人を善にするもの、争いを好む人間の悪の本性をなくしてくれるもの」なのだという(同上)。

「宗教」自体は決して「悪」ではない。周囲から「誤った信仰」と誤解されないよう、信仰を教える側にも説明責任と適切な「信仰生活」「態度」が求められよう。

民主主義の機能不全と宗教が果たす役割

さらに宗教団体や宗教者は、現代人や現代社会にとっての「宗教」の役割を、実感と説得力をもって訴え続けていかねばならない。「保守主義の父」として知られる、18世紀イギリスの政治思想家エドマンド・バークはこう訴えた。「宗教こそは文明社会の基盤であり、あらゆる善と幸福の源である」「民主主義が機能するためには、民衆はエゴイズムを捨てねばならない。宗教の力なくして、これはまったく不可能と言える」「富裕層も、宗教にこそ魂の真の癒しがあることを忘れはならない」(バーク『フランス革命の省察』)

さらに「アメリカ独立宣言の起草者であり、第3代大統領のトーマス・ジェファーソンは、『文明社会は宗教なしに永続し得ない』と述べ、『自由は神からの贈り物』として信教の自由、宗教の自由を最重要視していた。このことからも分かる通り、彼は真の民主主義の根底に宗教は不可欠だと説いた」という(田丸徳善監修/木下歓昭編集『宗教と政治の接点』)。

以上のように、現代の「民主主義」(の機能不全)を問うためにも、「宗教の力」、宗教の役割が問われねばならない。

「ホモ・レリギオースス」としての人間

また、2023年9月号の本欄「道徳の現代的意義」でも言及したが、「道徳の欠如の根底には宗教の不在がある」(梅原猛)。なぜなら「既成宗教が、道徳を習慣化し、人格の道徳性を向上させる」からだ(中川八洋『保守主義の哲学』)。

最後に、日本を代表する哲学者・西田幾多郎によって、今から100年以上前に書かれた名著『善の研究』(1911年)の言葉を紹介したい。

「世には往々なぜに宗教が必要であるかなど尋ねる人がいる。かくの如き問いはなぜに生きる必要があるかというのと同一である。(中略)真摯(しんし)に考え真伨に生きんと欲する者は必ずや熱烈なる宗教的要求を感ぜられずにはいられないのである」

人間は「ホモ・サピエンス」(賢い人間)であると同時に、「ホモ・レリギオースス」(宗教的人間)でもある。現代にあっても、内なる「宗教的欲求」を充足させ、「魂の真の癒し」を得るため、宗教の役割は決して失われていないのだ。

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