旧統一教会信者の拉致監禁問題 | 悪を決して許さず、徹底的に戦え
旧統一教会信者の拉致監禁問題 | 悪を決して許さず、徹底的に戦え

「私の事件を含め統一教会信者が被ってきた拉致監禁被害については一切報道されなかった。/拉致監禁問題は、まだ終結していないのだ」
2月10日に出版された『死闘 監禁4536日からの生還』(創藝社)のなかで、こう訴えたのは後藤徹さん(61)だ。後藤さんは家庭連合(旧統一教会)の信徒であり、「1995年9月11日から2008年2月10日までの期間、すなわち12年5カ月間監禁されていた」。
「平成」の日本で、歴(れっき)とした成人が「12年5カ月間」も監禁されていた——このような信じ難い事実を、大半の国民は知らないだろう。
後藤さんだけではない。「統一教会信者が被ってきた拉致監禁被害」は1966年以来、「4300人」を数えるという。本書によると、「1980年代の後半から拉致監禁される(統一教会)信者が急増し、1990年から92年の3年間だけで941人が失踪(拉致監禁)しているので、バブル景気時代は拉致監禁バブル時代でもあったのだ」という。
2004年当時に統一教会信者の脱会活動に関わっていた、あるキリスト教牧師の証言を引用しよう。
「私が保護(拉致監禁)説得したのは230人です。MさんやFさん(いずれも牧師の名前・インタビューでは実名)だったら、それぞれ800人はやっている。すべての牧師を合わせれば、最低でも5000人はいるでしょう」(米本和広氏による長編ドキュメント「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」、「月刊現代」2004年11月号)
後藤さんの拉致監禁に関与した、統一教会信者の脱会説得を専門的に請け負う「脱会屋」の宮村峻氏は、「1000件以上に及ぶ拉致監禁事件に関与した」(後藤さんの代理人弁護士)とも指摘される。ただ、決して勘違いしてはならないのは、「4300人」といった被害者数の多寡(たか)が問題の本質ではないということだ。たとえ「43人」だろうと、たった「1人」であっても、「拉致監禁を手段とした強制棄教は、絶対に許されない人権侵害であり犯罪行為」なのである(信者の家族が実行としたとしても、刑法第221条「逮捕・監禁致死傷罪」に該当する犯罪行為)。

この世に一つしかない「居場所」が「監獄」に
2022年7月に起きた安倍晋三元首相暗殺事件以降、「旧統一教会問題」に大きな注目が集まることになった。「旧統一教会問題」とは、煎じ詰めれば、家族の問題であり、親子の問題でもある。同信者に対する「拉致監禁問題」も同様だ。しかし、この根深く複雑な問題を「解く鍵」は、後藤さんも指摘しているように、「第三者による教唆」「家族だけによる犯行ではなく、家族の背後に拉致監禁を専門に請け負う人々がいた」ことにある。
後藤家も元々は「(家族5人が)仲良く幸せに暮らす、ごく普通の家族」であり、「この世に一つしかない私たちの居場所だった」のだ。本書には、そんな家族の「居場所」、一家団欒の場を「監獄」に代えた、脱会屋やキリスト教牧師らの卑劣なやり方が詳(つまび)らかにされている。愛すべき家族から棄教を迫られることは、監禁された信者にとってどれほど胸痛いことだったか。
日本を代表する社会学者の見田宗介氏は、著書のなかで次のように指摘している。「人間の存在(ヴェーゼン)とは、その現実にとりむすぶ社会的諸関係の総体(アンサンブル)に他ならないのであるから、その諸関係の解体は、確実にその人間の存在そのものの解体をもたらす」(『まなざしの地獄』)
まさに「拉致監禁」という蛮行が、信者の信仰のみならず、「人間の存在そのものの解体」さえもたらしてきた可能性がある。
現代の米国を代表する法哲学者マーサ・ヌスバウム氏は、「ある人が、信念か実践のいずれか一方を制約されているとき(その人が、民法に違反していたり、あるいは他者を傷つけたりしていないかぎり)、それは『魂のレイプ』である」「『魂のレイプ』とは、宗教的少数派の良心に正統派の教義を強制することである」と明言する(『良心の自由 アメリカの宗教的平等の伝統』)。統一教会信者に対する強制棄教が「魂のレイプ」「精神的なレイプ」であったのは論を待たない。
「拉致監禁は終結していない」
本書で後藤さんが強く訴えているように、私たちは「拉致監禁によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、未だに苦しんでいる被害者の存在」も決して忘れてはならない。さらに現在も拉致監禁事件が「完全になくなったわけではない」(近年も数件発生)。また、家庭連合への「解散命令請求」が裁判所で審議されているが、もし「解散となれば以前のように拉致監禁の猛威が全国へ広がるのではないかと憂慮する信者も多い」という。まさに「拉致監禁問題は、まだ終結していないのだ」。
後藤さんは監禁下で神に深刻に祈るなかで、[信仰を表明し、正々堂々と戦え!]という「一つの示唆」を与えられた。そして不当な監禁下での「死闘」を見事に戦い抜き、勝利した。
「悪に対しては決して許さず、徹底的に戦え」—後藤さんに与えられた“啓示”を私たちも胸深くに刻み、信教の自由、そして民主主義を守る戦いに勝利したい。