いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第22回

鎌倉新仏教と「易行の専修」

text by 魚谷俊輔


平安末期から鎌倉時代にかけて現れた「鎌倉新仏教」と呼ばれる一連の現象の背景と特徴をまとめると以下のようになります。11世紀中頃から、政治形態が変化し、武士政権へと移行して行きます。その中で権力闘争が激化し、殺し合いがたくさん起こったので、人々の不安が増したという社会背景がありました。そうした中で、それまでの官僧を中心とした仏教から脱却し、国の護持から民衆の救済に仏教の目的が移っていったのです。そして比叡山で仏教を学ぶんだものの、その比叡山が世俗化して堕落していたという現実に幻滅して、「遁世僧」となった者たちを中心として、日本人を宗祖とする新しい仏教が出現したわけです。それらを一般に「鎌倉新仏教」と呼んでいるわけです。

鎌倉新仏教には大きく分けて3つの流れがあり、浄土系と日蓮系と禅系に分けられますが、どれも救済の手段が非常にシンプルになっていくという特徴があります。これを「易行の専修」といいます。何か一つのことに集中すれば救われるんだ、ということです。ですから多くの戒を守り厳しい修行をして悟りを開くというような複雑なことは言わないで、「これさえやれば大丈夫!」ということを多くの人が主張するようになるわけです。浄土系は何と言ったかといえば、とにかく「南無阿弥陀仏の念仏を唱えよ!」と言ったわけです。念仏に集中したわけです。日連系の場合には、「南無妙法蓮華経のお題目を唱えよ!」と言ったわけです。「南無妙法蓮華経」は、念仏ではなく「お題目」といいます。とにかくお題目を唱えれば救われると言いました。禅宗の場合には、ただひたすら座って、「座禅に専念せよ!」と言いました。

このように、従来の貴族や僧侶にのみ可能な複雑な理論や修行が廃されて、念仏や唱題のように易しい行に専念することで十分とされ、それによって仏教が民衆のものとなっていくわけです。すなわち、民衆を相手にしているので、救いの方法が単純化され、シンプルになっていったというのが鎌倉新仏教の特徴ということになります。

この鎌倉新仏教を、プロテスタントの宗教改革になぞらえて理解する言説をときどき見かけます。比叡山延暦寺をカトリック教会に見立て、その腐敗堕落に対抗して民衆の宗教を提示した、仏教版の宗教改革だったというわけです。プロテスタントも「聖書のみ」や「信仰のみ」といった救済の単純化を主張しましたので、宗教現象として比較して見るときに、いくつかの類似点を発見することは可能だと思います。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

㉒鎌倉新仏教と「易行の専修」

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