いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第25回

臨済宗と曹洞宗

text by 魚谷俊輔


禅系の鎌倉新仏教の一つが、栄西(1141〜1215)を開祖とする臨済宗です。栄西自身もまた比叡山で天台教学を学んだのでありますが、27歳のときに宋に渡ります。その当時、中国では禅が非常に興隆していました。彼はこの禅こそが国を救うんではないかと考えて、47歳で再び宋にわたり、臨済宗の修行を5年間続けて、それを日本に持って帰って、九州で布教活動を開始しました。すると例によって比叡山から弾圧を受けるわけです。彼は『興禅護国論』を著して、禅を広めることが国を救うんだということを主張しました。当時、京都と対立関係にあったのが、新しくできた鎌倉幕府でありました。そこで栄西は、鎌倉幕府の庇護を得て日本臨済宗を開宗していくことになります。

禅には臨済宗と曹洞宗がありますが、臨済宗の特徴は「看話禅(かんなぜん)」と言って、「公案」を使って修行をすることにあります。「公案」というのは師匠が弟子に出すなぞなぞのようなもので、例えば「両手を合わせるとパチンと音が出る。それでは片手ではどんな音が出るか?」といった問いかけをするわけです。それに対する正式な答えというものはありません。それを弟子が一生懸命に考えて、こういうことを悟りましたと師匠に報告するわけです。それが満足のいく答えであれば、合格ということで次の公案を与えるという感じです。有名な一休さんがやっているようなやり取りをしながら修行するのが臨済宗の修行法です。

もう一つの禅宗が、道元(1200〜1253)によって開かれた曹洞宗です。この人も比叡山で天台教学を学びます。彼は24歳で宋に渡り、天童山の如浄(にょじょう)のもとで座禅をし、「身心脱落」の境地を体験します。これを言葉で表現するのは難しいのでありますが、いわゆる執着を完全に捨て去った悟りの境地に至ったのだと思います。それを体験した彼は、これこそ仏教の本質だと確信し、帰国して禅の道場を開きます。例によってまた比叡山の弾圧を受けて、越前の国に永平寺を開くことになります。

「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があります。修行とはただひたすら座禅に打ち込むことだという意味です。ですから鎌倉新仏教の開祖たちは、どうしたら救われるかという問いに対して、「念仏だ!」「唱題だ!」「座禅だ!」と、それぞれシンプルな一点を追い求めていくようになったわけであります。道元の場合には末法思想も否定して、ただひたすら座っておれば救われるんだと説いたわけです。

曹洞宗の禅は「黙照禅(もくしょうぜん)」と言って、ただひたすら座り続けることを強調しました。ずーっと瞑想していると、「魔境」に入ることがあります。いろんな声が聞こえてきたり、悪魔が現れてみたり、「お前は悟った」という声が聞こえてきたりするわけですが、そういうのは全部ダメで、それを乗り越えたところに「即身是仏」という悟りの境地があるんだと教えています。これが曹洞宗の禅の特徴です。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

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