#24 国家神道

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いまさら聞けない「神道の基礎知識」

#24 国家神道

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UPF-Japan事務総長 | 魚谷俊輔

1964年生まれ。千葉県出身。東京工業大学工学部化学工学科卒。95年に米国統一神学大学院(UTS)神学課程を卒業。2000年に日本に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が創設されるにともない、事務次長に就任。05年より、国連NGO・UPF-Japanの事務次長、17年8月より同事務総長。

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今回は「国家神道」に関する基本的な事実を紹介します。国家神道とは、明治政府が中央集権国家の確立を目的として、天皇中心の祭政一致国家を建設するために形成した国家の宗祀(そうし)のことです。国家神道は途中で大きく方向性を転換させたため、それを前後して大きく性格が異なります。

明治政府は、天皇を中心とする国家建設を目指しましたが、その基盤となる尊王思想を普及させるため、神祇官を復活させ、さらに神祇官の中に布教を担当する宣教使を置きました(明治2年)。続いて、「大教宣布の詔」(明治3年)が発布され、「治教を明らかにして惟神の道を宣揚すべし」という理念が打ち出されました。

明治5年には、神祇官は教部省に改組され、神道家、神職のみならず、僧侶も教導職として動員されるようになりました。彼らの役割は、①敬神愛国、②天理人道、③皇上奉戴、朝旨遵守(天皇陛下を崇め奉り、朝廷の意向を遵守すること)という「三条の教則」に基づいて講義・説教を行うことでした。これは言ってみれば国家公務員が神道という宗教の教えを国民に説教して回るということです。

しかしこの試みは、国内においては仏教界の反発、さらに欧米からのキリスト教弾圧停止要求も重なってうまくいかず、挫折してしまいます。結果として「国家神道」は大きな方向転換をすることになります。明治17年に教導職が廃止され、国家が神道の教えを積極的に国民に広めるということはなくなります。

代わりにどのような考え方が登場したかと言えば、神社とその祭祀は「国家の宗祀」であって、「神社は宗教にあらず」という解釈でした。その結果、官社の神官たちは国民の教化活動から撤退し、葬儀に関与することも禁止されるようになりました。明治政府の主張は、神社参拝は「国家の宗祀」であって、愛国心の発露のようなものであり、宗教ではないので、これを国民に要求することは信教の自由の侵害には当たらないというものでした。しかし、クリスチャンから見ればそれはあくまで神道の神を拝むことであり、キリスト教で禁じている偶像崇拝にあたるのではないかという懸念は残ったのです。

これ以降、神社参拝は愛国心や殉国者の鎮魂と深く結びついていきます。維新の内乱に殉じた人々を祀る「東京招魂社」(明治2年)が明治12年に「靖国神社」と改称され、国難に殉じた人々を祀る神社として崇敬を受けるようになりました。これを受け、全国各地でも「招魂社」が「護国神社」に改称しました。また日本人の海外移住に伴い、朝鮮半島、台湾、中国各地、サイパン、パラオ、ハワイなどに神社を創建するようになりました。

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