いまさら聞けない「神道の基礎知識」

いまさら聞けない「神道の基礎知識」 第25回

天皇家の宗教

text by 魚谷俊輔


前回は「国家神道」に関する基本的な事実を紹介しましたが、国家神道を「皇室との関係」という視点から分析すれば、それは「天皇家の宗教が神道に限定された」ということにほかなりません。このことは、明治以前には天皇家の宗教は必ずしも神道に限定されていなかったことを意味しています。

もともと、神道は天皇家と深いつながりのある宗教でした。古事記が編纂された目的は、天皇の正統性を語り、天皇家の歴史を残すことにあったといわれています。一方、日本書紀は文字として国家の歴史を残すことで、大和朝廷の権威付けを行い、日本という国の正統性を、当時の外国であった唐や朝鮮半島に向けて訴える目的があったといわれていますが、それも天皇を中心とする国家であることを国外に示すことが目的でした。

そして記紀の神話の目的は、神々に関する物語が最終的に皇室に繋がっていることを示すことにより、天皇の正統性と権威を示すことにありました。その神話の世界と皇室を結ぶ証拠物が「三種の神器」です。三種の神器は、天皇が皇位の璽(しるし)として代々伝えた三種の宝物です。記紀の伝承によれば、天照大御神がこれら三種の神器を孫の邇邇芸命に与え、それが皇室に伝えられたことになっています。

このように、天皇家と神道のつながりは疑いえないほどに強いのですが、それでも歴史的に天皇家の宗教が純粋に神道だけであったとは言えないのです。明治時代以前の天皇家においては、日本人全般がそうであったように、神道と仏教を中心に儒教、道教、陰陽道などのさまざまな信仰が習合した形で受け継がれていました。

平安時代末期から鎌倉時代にかけては、天皇が皇位を譲って上皇となり、上皇が出家して法皇となることが多く、天皇と仏教寺院は深く結びついていました。したがって、天皇家は歴代、神道と共に仏教もまた篤く信仰してきたといえるのです。

しかし明治時代に入ると、神仏分離の流れの中で天皇家に対してもそれが求められるようになり、新たに「皇室祭祀」が営まれるようになりました。宮中には賢所(かしこどころ)、皇霊殿、神殿からなる「宮中三殿」が設けられ、天皇は祭祀の役割をするようになったのです。

これは明治維新の背景にあった「復古神道」の思想に基づき、神道から外国の影響を排除して原点に戻るという考え方を実行したことになります。ですから、「神仏習合」の状態から仏教を分離することにより、神の子孫とされる天皇の権威を復活させるために、天皇家の宗教もある意味で「人為的に」神道に限定されるようになったと言えるのです。そしてこれは、明治期以降に特異な状態であるといってよいでしょう。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

天皇家の宗教

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