いまさら聞けない「仏教の基礎知識」

いまさら聞けない「仏教の基礎知識」 第9回

自力型で個人主義的な現世否定の宗教

text by 魚谷俊輔


お釈迦様が説かれた「根本仏教」がどんな宗教かを分析すれば、まず極めて「自力型」の宗教であるということが分かります。つまり、仏教とは「修行によって悟りを開くこと」を目的とした宗教だということになります。ですから、神様に救ってもらおうというタイプの宗教ではないわけです。お釈迦様の当時、バラモン教は「呪術」を行っていました。「呪術」とは、おまじないのことです。これは呪文を唱えて災いを除き、幸福を招く行為であって、「大学に受かりますように」とか願いをかけて護摩を焚いたりするのは、呪術と呼ばれる行為です。お釈迦様は、仏教の僧侶に対してこれをやってはいけないと言ったわけです。普通は、世俗的な願いを果たすために呪術をするわけですが、仏教の目的はそういう欲望を捨て去って悟りに至ることにあるわけですから、呪術などやってはいけないとお釈迦様は教えられたわけです。

お釈迦様は常に「自燈明」「法燈明」ということを教えられました。これは、「自らを燈明とし、自らを頼りとして、他人を拠所とせず、法を燈明とし、法を頼りとして、他を拠所とせずに修行しなさい」という意味です。つまり、誰がこう言った、彼がこう言ったということに惑わされることなく、自分で悟って、法を頼りにして生きなさいと言ったという意味では、かなり自力型の宗教であると言えます。

さらにもう一つ言うと、仏教は個人主義的な現世否定の宗教であると言えます。例えば、因果応報という教えがあります。「善因善果」「悪因悪果」と言って、善なることをすれば善なる結果が現れる、悪なることをすれば悪なる結果が現れる、ということで非常に合理的です。さらに「自業自得」ですから、自分の行為の結果は自分に跳ね返ってくるということですので、個人主義ということになります。

ですから、お釈迦様の説いたオリジナルの仏教は徹底した個人主義の教えであって、その究極的な目的は生死輪廻からの解脱、言い換えれば、どこまでも個人の安心立命の境地にあるわけです。これを「涅槃寂静」と言います。仏教本来の理想社会は家でも家族でもなく、まして国家でもありません。それは出家求道者の集団である僧伽(サンガ=僧の集団)であったのであり、むしろ家庭は愛欲煩悩の場として、相対的に否定されるべきものであったとさえ言えるわけです。これが、お釈迦様の説いた仏教の本質であり、仏教の理想は出家してお坊さんになることです。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

⑨自力型で個人主義的な現世否定の宗教

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