#8 米トランプ氏「戦略的忍耐の時代終わった」

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魚谷事務総長の時事解説

#8 米トランプ氏「戦略的忍耐の時代終わった」

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UPF-Japan事務総長 | 魚谷俊輔

1964年生まれ。千葉県出身。東京工業大学工学部化学工学科卒。95年に米国統一神学大学院(UTS)神学課程を卒業。2000年に日本に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が創設されるにともない、事務次長に就任。05年より、国連NGO・UPF-Japanの事務次長、17年8月より同事務総長。

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なぜ米国は「もう対話は必要ない」と言うのか?

これまで騙され続けてきたと思っているから

米国のトランプ大統領は9月19日の国連演説で、「北朝鮮が米国に脅威を及ぼすなら完全に破壊するしかなくなる」と発言しました。さらに10月1日のツイッター発言では「北朝鮮との交渉は時間の無駄。ロケットマンによく接しようとして25年間うまくいかなかったのに、なぜ今ならうまくいくのか」「クリントンが失敗し、ブッシュが失敗し、オバマも失敗した。私は失敗しない」と、軍事オプションを強調した発言を繰り返しています。こうした発言の背景には、過去の北朝鮮との交渉がすべて失敗し、北朝鮮に核とミサイル開発を行う時間を与えてしまっただけであるという認識があるからです。

米国は1986年ごろから偵察衛星の画像に基づいて北朝鮮の核開発の兆候を察知していました。92年に北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れますが、査察のやり方をめぐってIAEAと対立し、93年に核兵器不拡散条約(NPT)を脱退すると宣言します。これが「第1次核危機」の始まりです。このときクリントン政権は北朝鮮の核関連施設に対する空爆計画を立てましたが、金泳三・韓国大統領が軍事攻撃に強く反対しました。

その流れを変えたのが94年のカーター訪朝です。彼はホワイトハウスから許可を得て民間人として訪朝しましたが、金日成との会談で譲歩を引き出し、クリントン政権の動きを止めました。これによりIAEAの査察再開が合意され、韓国の金泳三大統領との首脳会談も提案されましたが、南北首脳会談の直前に金日成は死去してしまいます。

米朝対話は後継者の金正日に引き継がれ、94年10月にジュネーブで「米朝枠組み合意」が署名されました。これは北朝鮮が独自の核開発を放棄する代わりに、米国が軽水炉型原子力発電所を北朝鮮に提供することに責任を持ち、その完成まで重油の提供をするというものでした。これを受けて95年3月に朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が設立されました。

ところがその間も北朝鮮は独自の核開発を行っていることが発覚します。2002年10月に北朝鮮はそれを自ら認め、再びIAEAの査察官を追放してNPTの脱退を宣言します。(第2次核危機)これを収集するために中国が仲介役となり、関係国が集まって話し合うシステムを構築したのが「6カ国協議」です。05年9月に行われた第4回6カ国協議で、①北朝鮮がすべての核兵器と既存の核計画を放棄すること②米国には北朝鮮攻撃の意図がないことを確認する――ことを謳った「共同声明」が採択されました。

ところが、米財務省がマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)を「マネーロンダリングの主要懸念先」金融機関に指定し、北朝鮮関連の口座が凍結されたことに北朝鮮が反発して、協議は中断してしまいます。この間に北朝鮮は着々と核とミサイルの開発を勧め、06年には第1回核実験を強行します。ブッシュ政権は初めは北朝鮮に対して厳しい態度を取っていましたが、金正日の「瀬戸際外交」に対処しようとして態度を軟化させていきました。

オバマ大統領の政策は、北朝鮮の「瀬戸際政策」に対する無視を決め込む「戦略的忍耐」と呼ばれるものでした。これは結果的には、北朝鮮に核・ミサイル開発の時間的余裕を与えることとなり、「無策」という批判を免れません。

これまで米国政府は、北朝鮮の核・ミサイル能力はまだ米本土を脅かす水準にまでなっていないという認識のもとに本気で対処してきませんでした。しかし、17年7月28日に北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)級のミサイル発射実験を行うことにより、核と合わせて米国本土を狙われる可能性が出てきたために、トランプ政権下で真剣な対応が検討され始めたのです。こうした歴史的経緯を踏まえて、トランプ大統領は「結局、過去の交渉は時間稼ぎに使われただけだった。もうだまされないぞ!」と思っているのです。

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