#18 神道と仏教

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いまさら聞けない「神道の基礎知識」

#18 神道と仏教

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UPF-Japan事務総長 | 魚谷俊輔

1964年生まれ。千葉県出身。東京工業大学工学部化学工学科卒。95年に米国統一神学大学院(UTS)神学課程を卒業。2000年に日本に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が創設されるにともない、事務次長に就任。05年より、国連NGO・UPF-Japanの事務次長、17年8月より同事務総長。

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今日「神道」と呼ばれる体系が確立したのは、大和朝廷が唐にならって律令制を導入した時代でした。これは大陸の進んだ政治制度を取り入れるということでしたが、それと同時に入ってきたのが大陸の進んだ宗教である仏教でした。日本への仏教公伝は538年でした。「公伝」というのは、公式ルートで伝わったということです。私的にはそれ以前に渡来人などと共に伝わっていました。

仏教は朝鮮半島から伝わってきました。百済の聖明王が、仏像一体と仏教の経典などを日本の欽明天皇に送ったのです。欽明天皇としては、仏像と経典を受け取ったのですが、どうしようかということで、周りにいた貴族たちに相談しました。すると、その貴族たちの意見が二つに分かれたわけです。一方を「崇仏派」といって、大陸や朝鮮半島でも仏教を敬っているのだから、日本でも仏を祀ろうと主張した人々です。この勢力は、蘇我氏を中心としていました。それに対抗して仏を祀ることに反対する「廃仏派」と呼ばれる勢力があり、物部氏を中心としていました。このように仏教を受け入れるか受け入れないかで対立しました。

蘇我氏はもともと渡来系の氏族ですから、仏教になじみがありました。それに対して、物部氏はもともと日本古来の祭祀を行っていたので、「外からやって来た神を拝むわけにはいかない。日本には多くの神々がいるのだから、新しい神を拝めばきっと祟りが起こる」と言って反対したのです。当時の日本人の感覚では、仏は海の向こうからやって来た神であるととらえられました。このような神はマレビト神(客神)と呼ばれ、突然やって来た客神は得体のしれない存在であり、恐ろしい存在と思われていたのです。

このように、しばらく崇仏派と廃仏派が争ったわけでありますが、最終的には仏教を敬う方が勝っていくことになります。こうして仏教を柱とした国づくりが始まっていくわけです。しかしだからといって、日本古来の信仰である神道が、大陸から伝わった仏教によって駆逐され、取って代わられることはありませんでした。仏教の影響を受けて神道が制度化されると同時に、仏教もまた神道の影響を受けて日本化していくという、「共存」の道をこの二つの宗教は歩むことになったのです。

仏教が日本に受容される過程において、土着の信仰である神道としだいに融合していき、神と仏を一緒に祀るようになった現象を、「神仏習合」といいます。

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