いまさら聞けない「神道の基礎知識」

いまさら聞けない「神道の基礎知識」 第21回

神本仏迹説の神道と儒家神道

text by 魚谷俊輔


仏教が日本に受容される過程において、土着の信仰である神道としだいに融合していき、神と仏を一緒に祀るようになった現象を「神仏習合」と呼ぶことは既に説明しましたが、これは思想的に①神身離脱説②本地垂迹説という2段階で発達しました。①においては日本の神は仏教によって救われるべき低い存在であるとされましたが、②においては日本古来の神々は仏が衆生救済のために姿を変えて顕われた存在であるとされ、日本の神々の位置が高められました。これがさらに発展すると、その関係は逆転するようになるのですが、それを「神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ)」の神道といいます。

話を整理すると、本地垂迹説においては、本来は仏であったものが日本人の前では神に形を変えて現れ、仏教が伝来する前から信仰されていたのであると解釈することによって、仏教と神道は根本は同じであると主張したのですが、「神本仏迹説」においては日本の神は仏よりも優れた存在であり、むしろ神が仏の本地(オリジナル)であると主張したのです。こうした神道の代表が伊勢神道と吉田神道です。

伊勢神道は、伊勢神宮の外宮の神官・度会行忠(わたらい・ゆきただ)によって基礎が築かれ、度会家行(わたらい・いえゆき)によって大成されました。平安末期から鎌倉・南北朝時代にかけて形成された神道です。ここで初めて、「神は本地仏よりも優れた存在であり、神が仏の本地である」という思想が出現したのです。

吉田神道は、唯一神道、卜部(うらべ)神道、宗源(そうげん)神道とも呼ばれ、室町時代後期に吉田兼倶(よしだ・かねとも)が創唱した思想であり、インドの仏よりも日本の神のほうが優位であると主張しました。彼によれば、神道が根本であり、儒教は枝葉、仏教は花実であるということになります。吉田神道における根本神は、「国常立尊(くちとこたちのみこと)」です。

一方、江戸時代初期になると徳川幕府の奨励で儒教が流行し、儒教と神道が同一視され、神儒一致の神道が登場しました。朱子学を学んだ儒学者によって唱えられたこうした神道説を「儒家神道」と言います。

林羅山の「理当心地神道」(りとうしんちしんとう)、吉川惟足(よしかわ・これたり)の「吉川神道」、度会延佳(わたらい・のぶよし)の「後期伊勢神道」、山崎闇斎(やまざきあんさい)の「垂加(すいか)神道」などが代表的な儒家神道です。儒家神道においては、「神道の本質は祭祀や行法ではなく、天下を治める道である。神道は王道であり、天照大御神から天皇が継承したものである。」と説きました。

(魚谷俊輔/UPF-Japan事務総長)

神本仏迹説の神道と儒家神道

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