#23 明治維新と神仏分離令

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いまさら聞けない「神道の基礎知識」

#23 明治維新と神仏分離令

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UPF-Japan事務総長 | 魚谷俊輔

1964年生まれ。千葉県出身。東京工業大学工学部化学工学科卒。95年に米国統一神学大学院(UTS)神学課程を卒業。2000年に日本に世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が創設されるにともない、事務次長に就任。05年より、国連NGO・UPF-Japanの事務次長、17年8月より同事務総長。

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明治維新の背景にあったのは、本居宣長や平田篤胤らの「復古神道」の影響を受けた尊王攘夷と王政復古の思想でした。これは基本的に神道から外国の影響を排除して原点に戻るという考え方でした。明治政府はこれを「神仏分離令」によって実行しようとします。日本古来の神々は、仏教伝来以降1200年にわたって、仏教信仰の中に取り込まれ、「神仏習合」の状態にありましたが、これを神の本来の形(神を単独で祀ること)に戻すことによって、神の子孫とされる天皇の権威を復活させようとしたのです。

神仏分離令の具体的な内容は以下の通りでした。

A)神号に仏語の使用を禁止
神号に大菩薩、権現、牛頭天王などの仏教用語を使用することを禁止しました。例えば、「八幡台菩薩」は「八幡神」に改められました。

B)神宮寺の廃止
神社に付属した神宮寺などの仏教的な建造物の廃絶が行われました。

C)別当・社僧の還俗
全国神社内の別当・社僧に還俗を命じ、神職と僧侶の区別をはっきりさせました。「神宮寺」においては、社僧と呼ばれる仏教の僧侶が、神前読経など神社の祭祀を仏式で行っていましたが、そのトップを「別当」と呼んでいました。こうした別当や社僧は、神宮寺の廃止に伴ってその地位を失い、出家した仏教の僧侶が神社の祭祀に関わらないようにしました。

D)神社内の仏像・仏具の除去
神社の中にある仏像・仏画や仏具は取り除くべしという指令が出されました。これは必ずしも仏像や仏具を破壊せよという命令ではなかったのですが、江戸時代の「寺請制度」と呼ばれる幕府の間接統治のシステムの一翼を担った仏教界の腐敗に対する民衆の反発を背景として「廃仏毀釈」運動が起こり、各地で寺院や仏像、経典を破壊する運動が起こりました。この騒ぎは数年で収まったのですが、結果的に多くの貴重な文化財が失われました。

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